しまりす写真館の現像室から

カラーネガフィルムでユルめに写真を撮っています

Canon F-1:「昭和ノスタルジア」とは何か。

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また悪い癖が出てしまいました。。

或る雨の土曜日に、久々にCanon F-1を持ち出したんです。このCanon旧F-1なぜ欲しくなったかというと、記憶喪失から復帰した後の中平卓馬がこれに100ミリのマクロレンズをつけて、シャッタースピード125分の1秒、絞り11半固定で全ての作品を撮影していたという「物語」にすっかり影響されてしまった私、「中平卓馬」モデルとして、入谷にあるのになぜかアカサカカメラにてボディ購入、その後100ミリマクロもU.C.Sさんから無事に手に入れまして、何度か中平卓馬ごっこをした後、防湿庫に眠らせていたわけです。

ところが、先日来のアラーキーブームで買った「男と女の間には写真機がある」の中のエッセイにて、キャノンF-1のシャッター音について記述されていたのを見つけたのでした。

「・・・ましてや直感音感がすぐれている私が快感したのは、被写裸体を、肉体を、風景を抱擁してしまうようなシャッター音楽である。私は、シャッター音まで写っているのではないかと思想しながら、『私現実』を写していった・・・」

(「男と女の間には写真機がある」荒木経惟 太田出版 所収「私現実ーあるいは風景写真術入門」初出「WORK SHOP」 3号昭和50年3月1日号より引用しました。)

これを読んで、「そーいや、どんなシャッター音だったっけ」と久々に防湿庫から取りいだしたるマイF-1、巻き上げる感触は滑らかで、シャッター切ると「シャポンッ」という感じの音がする。これはこれで、ライカとは異なる世界の良いシャッター音だったのであった。

そこですっかりとキャノン旧F-1モードとなりました私、或る雨の土曜日に大塚駅に降り立ち、そこから西ヶ原、滝野川、あたりを抜けて、王子まで放浪したというわけです。

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Canon F-1n + New FD 28mmF2.8 + Provia 100

去年の秋以来入れっぱなしになっていたカラースライドフィルムを撮り切って、トライエックスに詰め替えます。 

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久しぶりの一眼レフですが、やはり使いやすいですね。。特にF-1はファインダーの右に縦に表示される追針式の露出計が使いやすいです。 私のF-1は後期型なので、昭和50年ごろに作られたもののはずだから、製造されてすでに45年ほどが経過しているはずなのですが、いまだ正確に露出を測ってくれてます。

で、こんなに調子いいんだったら、35ミリのレンズも持っとこうかな、と思い、秋葉原のにっしんカメラに「見るだけだから」と立ち寄ったのがウンの尽きというのでしょうか、なかなかいい感じのNew F-1が目に入ってしまったのでした。その場では、なんとか物欲を制御して、帰宅したのですが、結局・・・

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やっちまいました・・レンズとセットでボディも(笑

ただ、使ってみると、正直なところ、旧F-1の方が「使いごこち」はいいですね・・・特に巻き上げるときの感触が、ニューF-1は、色々言われているようにギリギリガッチョン、とまでは言わないけど、レバー巻き上げ、最後のところで「ガチっ」というところまでまわさないとならないので、私のように気の弱い人間には、「このまま何万回も巻き上げていくと、そのうち壊れんじゃない?」と、無用にメンタルな負担がかかります。

ただし、ファインダーは断然ニューF-1の方が明るくて見易い。ここは、70年代と80年代の世界の「見え方」を如実に反映して「歴史」の展開を感じさせる部分です。

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Canon New F-1 + New FD28mmF2.8 + Fujifilm Superia 400

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今回初めて気がついたんですが、「石神井川」って、意外にもかなりワイルドな川だったんですね。。上の写真の場所、まさに「都会の渓谷」っていう感じです。桜の花が咲くころに、また来てみたい。

この「昭和ノスタルジアとは何か」という本、新聞の書評に惹かれて買ったきり、すでに7年が経過しようとしています。毎年夏休みになるたびに「今年こそ読むぞ!」と意気込んで引っ張り出すのですが、今年もまた、さしてページが進まないままに、夏が過ぎ去って行こうとしています。

 

 

Leica M3で「濹東綺譚」

カラーネガフィルムで撮影したゆるい感じの写真をアップロードするというのが、このブログの当初の設計図だったのですが、だんだん手持ちのカメラの自慢話のようなブログになってきてしまいましたし、写真もモノクロやスライドが入り乱れてしまい、まとまりのない内容になってしまいました。

ということで、今回もモノクロフィルムで撮影したものになりますが、6月ごろの「濹東」の様子をライカM3にて撮影したものになります。

永井荷風が夜毎放浪した街の様子は、もはや影も形もないように思います。

想像力を働かせるしかないようです。想像できるだけでもマシか。そのうち想像もできない、という状況になっていくのかな。

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Leica M3 Double Stroke + Summicron 35mm + Acros II/Tri-X

Nikon F2と「濹東綺譚」

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「その夜お雪さんは急に歯が痛くなって、今しがた窓際から引込んで寝たばかりのところだと言いながら蚊帳から這い出したが、座る場処がないので、わたしと並んで上框へ腰掛けた。

『いつもより晩いじゃないのさ。あんまり、待たせるもんじゃないよ。』

(引用中略)

『それはすまなかった。虫歯か。』

『急に痛くなったの。目がまわりそうだったわ。腫れてるだろう。』と横顔を見せ、『あなた。留守番していてくださいな。わたし今の中歯医者に行って来るから。』

『この近処か。』

『検査場のすぐ手前よ。』

『それじゃ公設市場の方だろう。』

永井荷風「濹東綺譚」新潮文庫45〜46頁)

 何年か前に本屋でふと目に止まって買って帰り、最初の数頁を読んで投げ出していた永井荷風の薄い文庫本。またふと目に止まって通して読んでみました。

なかなか面白い。

というか、この本を買った当時は荒川区墨田区、足立区あたりの地理がわかっていなくて、いったい何が主題になっているのかがそもそも理解できなかったのですが、ここ2年ほど、カメラ片手に東京23区を歩き回り、墨田区から葛飾区のあたりもひと通り歩いてまわったことの見返りというか、結果として、この短い小説の骨子としているところが、理解できるようになったというわけです。

そもそも、「濹東綺譚」の「濹東」って、「隅田川の東側」っていう意味だったんですね、っていうところに気がついていなかったのですから、この物語の筋だけ理解しても、あまり意味がなかったということであったかと思います。

いや、やはりじぶんの足で歩いてみるものですね、何ごとも。

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Nikon F2 + Nikkor H Auto 28mm + Kodak Tri-X

墨東の一角にて。窓辺で客待ち顔(?)のお雪さんかと思いました。

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Nikon F2 + Nikkor H Auto 28mm F3.5 + Kodak Tri-X

『あなた。方々歩くと見えて、よく知ってるんだねえ。浮気者。』

『痛い。そう邪険にするもんじゃない。出世前の身体だよ。』」

永井荷風「濹東綺譚」新潮文庫45〜46頁)

 

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Pentax SL + SMC Takumar 28mmF3.5 + Kodak Tri-X

このアサヒペンタックスSL、近所の写真屋さんのガラス棚に飾ってあったのを、確か3千円ほどで譲っていただいたもの。ちょっとファインダーが暗すぎて、光量が少ない状態で私の老眼でピントを合わせるのは厳しいけど、広角レンズで絞り込んで距離指標を頼りに撮るぶんにはご覧の通りでよく写るんですよね。ただ、どうも機関は油切れっぽくて、しばらく使わずにいると、巻き上げレバーがキーキーいいだすので、そのうち修理屋さんでグリスアップしてもらおうと思っています。

ライカ共同幻想論:その後、そして「写真への旅」

ポジフィルムの現像が上がってきました。この前に現像したエクタクロームはなんだか色合いが変だったけど、今回の2本は、賞味期限を3月ほど経過していたにもかかわらず、特に問題なく、すっきりと撮れていました。

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2021年、夏

 

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2005年、秋(「Coyote」No.9 January 2006より)

確かマンションというかアパートのような建物が立っていて、ここまでは引けなかったような気がする。猫も通り掛からなかったし。

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Leica M5 + Elmarit 28mm (2nd.) + Kodak Ektachrome

猫は暑さでへたばってました。。歩く気力もなし。

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Leica M5 + Elmarit 28mm + Kodak Ektachrome

文京区の吉祥寺にて。 

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Rollei 35 + Tessar 40mm F3.5 + Kodak Ultramax

これは真冬のパリのチュイルリー公園にて。 

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ミシシッピ州タラハッチ郡〜「William Eggleston's Guide」より。東京の街中だと、なかなかここまで「引いた」写真は撮れません。やっぱり、国土が狭いからですかね〜。

「・・・このニコンSPのファインダーのいいかげんさが、私に安堵感をあたえていた。あまりにも正確に現実を切り取ってしまう一眼レフのファインダーによって、現実があまりにも写真に、風景になってしまうことが、イヤになっていたのであった。空しかったのだ。一眼レフのファインダーは棺桶に思えた。・・・」

荒木経惟「男と女の間には写真機がある」所収「私現実ーあるいは風景写真術入門」「WORK SHOP」3号昭和50年3月1日号より引用)

レンジファインダーカメラの魅力をここまで如実かつブンガク的に表現した人は、アラーキーをおいて他にいないのではないだろうか。

ということで、最近アラーキーづいている私は、近所の古本屋で発見した写真集「東京物語」「冬へ」そして書籍「写真への旅」をまとめて「爆買い」したのであった。そして、昨日は雨の中都電に乗って三ノ輪まで行き、アラーキーの生家があったという浄閑寺通称「投げ込み寺」斜め向かいの交差点を激写してきたのでした。。真っ黒クロの「棺桶」カメラ、キャノンF-1にて。。

そのような理由で、昨年夏より続いた私の「ライカ・モード」は、台風10号が連れてきた土砂降りの雨とともに、あるいは「東京オリンピック」とともに、ひとまずの終焉を告げ、また一眼レフに手が伸びるようになってきました。

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朝日ソノラマ 現代カメラ新書No.13「写真への旅」荒木経惟 昭和51年5月25日初版発行

「写真への旅」を読んで、「写真は順光で撮らなければ、写らない」ということを教えられました。しかし、キャノンF-1は重いので、文鎮がわりにもなるんですよね。頼りになるカメラです。

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 「写真への旅」も、上に引用した「私現実」という文章も、昭和50年(1975年)ごろに書かれたものなんだけど、読んでいて感じるのは「言葉」の重みのようなものです。本当に、好き勝手なことを、書いているのだけれど、でも、誰かがどこかで言ったこと、書いたこと、そういうものではない、アラーキーその人の、自分の「言葉」で書かれているのですよね。当たり前ですが。でも、その当たり前だったはずのことが、何か懐かしい昔話のように感じてしまうのは、何故なんでしょう。

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Leica M5 + Elmarit 28mm + Kodak Ektachrome

 例えば、ここに柳美里という小説家の「JR上野駅公園口」という小説がある。

「昔は、家族が在った。家も在った。初めから段ボールやブルーシートの掘っ建て小屋で暮らしていた者なんていないし、成りたくてホームレスに成った者なんていない。こう成るにはこう成るだけの事情がある。サラ金の高利子の借金が膨らんで、夜逃げしたまま蒸発した者もいれば、金を盗んだり人を傷つけたりして刑務所にぶち込まれ、娑婆に出ても家族の許には帰れないという者もいる。会社をクビになって、女房に離婚されて子どもも家も取られて、捨て鉢になって酒や賭け事に溺れて一文無しになった者、転職を繰り返してハローワークに通い詰めても希望する職が見つからず、気落ちして脱け殻みたいになった四、五十代の背広を着たホームレスもいる。」

 

柳美里. JR上野駅公園口 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.923-930). Kindle . 

ここで描出されている世界は、すでに全ての事柄、全ての人間について、評価が下され、判断がなされ、固定されて、いわば「氷結」された世界の中で、あたえられた想定内の「役割」を表出する「記号」としての人間であり、そこには「存在」などというおこがましいものはない。

これに対して、昭和50年(1975)年において我々が、というか、アラーキーが認識把握し、言語化した世界とは、このようなものであった。

「あいかわらずのアルチュール・ランボーの私は、二日酔いとゲリバラで、地下鉄日比谷線六本木に着いた途端、もう我慢できなくなった、トイレを捜したのだが、見つからない。たいがいは、駅のトイレの位置はわかるのだが、六本木の駅のトイレはわからなかった。(中略)とにもかくにも、地下鉄日比谷線六本木に着いた途端、私は懸命になってトイレを捜したのだ。見つからないのだ。私も初老なのだろうか。勘が鈍っている。もー駅のトイレはあきらめた。そーっと階段をあがって地上に出た。すぐさま卑猥なピンクの『アマンド』にはいった。はいってすぐトイレに行くのは格好悪いので、まずいコーヒーを注文して、ワインの試し飲みの感じで一口飲むと、さも余裕ありげにトイレへと直行した。ああ!掃除中なのである。私は平然と肛門括約筋をしめて席にもどった・・・」

荒木経惟「写真への旅」所収「私はダイアン・アーバス」より引用。)

アラーキーの文章には、目の前にたちあらわれる「手付かず」の、「生まれたばかり」の現実というものにたいして、「カメラ」と「ライオン印の万年筆」だけで、まさに「徒手空拳」で立ち向かおうとするひとりの人間の姿が、間違いなく描きだされているのであって、それ(「私」が「徒手空拳」であること)はアラーキーの写真についても同じことがいえるように思う。六本木の駅を降りたときにゲリバラに襲われた人間の行動とは、まさに想定外の緊急事態宣言なのである・・・まあ、「アマンド」に入って、そこのトイレを使わせてもらうというのは、さほど独創的、とまではいえない、としてもである。そう思うのは、もしかして私だけなのかもしれないが、しかし、そう思う私が存在することだけは、これはもう誰にも疑うことができないのである。

ライカ共同幻想論〜日暮里、千駄木、そして千石

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Leica M5 + Elmarit 28mm (2nd.) + Kodak Ektachrome

令和3年7月某日。「日暮里駅」にて下車。カバンからライカM5を取り出した私は駐輪場の脇の休憩スペースにて28ミリのファインダーを取り付ける。このファインダープラスチック製なのだけど、足の部分が右側に少しオフセットされていて、ファインダーの本体部分を掴んでカメラにつけたり外したりしているうちにそのうち足の部分がとれるんではないかと思ってしまうが、そのあたり耐久性はどうなんでしょう。

「青い田の露をさかなやひとり酒」

小林一茶がこの句を詠んだという「本行寺」の前を通過。この辺りが武蔵野台地の東の端だった名残がある。「夕焼けだんだん」には向かわず、右に折れて諏訪台通りに入り、「諏方神社」にてぎょろりと目玉の大きな黒いこま犬を見つけて、激写。神社にお参りした後、富士見坂を降る。2000年ごろまでは、ここから富士山が見えていたが、本郷通り周辺のマンション建設でビルとビルの間にわずかに見えるか見えないかになっちゃった。これを土地の人は「すきま富士」とよんで愛でている、という解説が坂沿いに写真と共に掲示してある。f:id:Untitledtrueman:20210725114221j:plain

坂を降りきったところで商店街を抜けて、さらに住宅地に入っていく。不忍通りを渡って、また坂を上がる。ちょうど午後1時。暑い。何年か前、銀座のバーで「開店記念です」ということでもらったタオルで汗を拭く。千駄木の住宅地を抜けて、ひとまずの目的地である吉祥寺を目指すのだが、適当に路地を曲がっていくと行き止まり。引き返して、ここなら抜けられそうかな、と曲がっていくとまた行き止まり。

昔むかし、このあたり一帯は、上野寛永寺造営時に木材を切り出したという雑木林が広がっていたようであるが、その面影があるような、ないような、住宅地、学校、墓地、公園の中を歩いているうちに、「養源寺」門前に辿り着いた。このお寺、少し前にきたことがある。夏目漱石の「坊っちゃん」に出てくる主人公の家の奉公人「清(きよ)」のモデルになった漱石の友人の祖母の墓があるということで知られているんですが、前回きた時には墓地の中を探せど探せど「清(きよ)」の墓は見つからず、断念してしまったのだ。

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見つからないものを探すのは面倒だ、と思ったが、足の向くままに墓地に入る。なぜだか今回はあっさりと「清(きよ)」の墓が見つかる。「米山」姓なのだが、昔の書き方で左右逆に「山米」と書いてあるので、見つかりにくかったのだ。

一旦本郷通りに出て、脇道にそれると何やら年季の入った大きな塔のような建物(江戸時代に建てられた「経蔵」という建物です)のある脇っちょから「吉祥寺」の境内に入る。

雑誌「coyote」第6(2006年1月)号掲載の記事によれば、この辺りに吉本隆明の家があったはずだが、その中でホンマタカシ氏が撮影した大仏の写真をみつけ、「こんなところに大仏があったのか」と思って自分の目で見たくなった、というのが本日のとりあえずの目的。

 本堂にお参りし、山門に向かって歩いていくと、右手に大仏、というか、大きめの釈迦如来像である。ホンマタカシ氏の写真は冬で周りの樹木の葉が落ちていてすっきりと見えていたのだが、あれから15年が経過して大きくなった周りの木が盛夏でびっしりと葉を繁らせているので、だいぶ雰囲気が違う。ホンマタカシ氏と同じく横顔を撮りたかったのだけど、木が邪魔で真横からは撮影できないので、やむを得ず、右斜めから激写。ひとまず本日の目的は達したと、ふと振り返ると、三毛猫が地べたに張り付いていた。死んでるのかと思ったが、暑さでまいっているだけのようだ。本日は一本1700円のKodakの高級ポジフィルムを装填しているのですが、惜しげもなく10カットほど激写。

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上掲「coyote」のインタビューの中で「願いごとを一つあげるとすれば、何ですか」と訊かれて、足が不自由になっていた吉本氏が「毎日130メートルほど歩くようにしているが、なんとか400メートル歩けるようになって、富士神社にいって縁日の焼きそばを食べたい」と答えている。確かに縁日の焼きそばは、時々無性に食べたくなることがあります。そこで私も「富士神社」に向かう。富士神社は前回、巣鴨から歩いてきたときに偶然見つけていて知っていたのだ。途中、また猫を見つけた。今度は白と黒のブチの猫だ。そこへ本郷通りのほうからお母さんと一緒に5歳くらいの男の子が現れて、真っ直ぐ僕の方にやってきて「どこにいくの?」と問うので、僕は「決めてない」と答えた。

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富士神社から本郷通りに抜けるとすぐに「六義園」である。中には入らず、煉瓦塀に沿って早足に中山道に抜け、さらに千石の住宅地に入っていく。ほとんど店が残っていない商店街の名残のような通りがある。さらに西に向かって歩いて、下り坂を降りきったところあたりに昔は「谷端川」という川が流れていたようである。今は暗渠になっていて、影も形も窺うことはできない。そこからさらに丘を登っていって、雑司ヶ谷に抜けようと思っていたのだが、もう3時。足も痛くなってきたので、この辺りで切り上げることにする。大塚駅まで歩いて、早稲田の方からやってきた都電を撮ったところで、2本目のエクタクロームを撮り切った。

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 ライカM5はM型の中でも不人気な機種、ということになっていますが、ここのところこの機種もご多聞に洩れず価格高騰が進んでいるようです。これはいつ頃だったか、何かのはずみでM5愛が燃え上がり、当時日本橋にあった不二越カメラにて入手。しかし使ってみると、なんとなくもっさりした感じの操作感と、シャッターを切った時の音がちょっとキーンと金属音がするような気がしまして、「これは持病のシャッターブレーキが割れているせいではないか」と妄想した私は、川崎のカメラ修理業者さんに持ち込んで診てもらったところ「全て仕様です」ということでしたが「パララックス補正の動きが渋いのと、露出計がズレてますね。直しますか?」と言われ、この際、ということでオーバーホールしてもらったのでした。

ということで、手持ちのM型の中ではおそらく最も「完調」に近いはずなのがこのM5です。オーバーホールにM5一台分の費用がかかりましたが。。

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Leica M5 + Summicron 50mm + Kodak Tri-X @ Dublin

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Leica M5 + Summicron 50mm + Provia 100

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Leica M5 + Summicron 50mm + Provia 100 @ Dublin

とはいえ、他のM型と比べると、操作感にちょっと違和感があるというのが正直なところで、特にシャッターをかなり深く押し込まないとシャッターが切れない印象があります。シャッターを押し込んでいくと、先端に露出計の測光部をつけた腕木が格納されるのに従って、ファインダーの下端部に表示される露出計の針がビヨヨーンという感じで左端に戻っていくのが「もっさり感」を増幅させているのかもしれません。ということで、かなり大きめのソフトレリーズボタンをつけています。

あと、やっぱりデカいですね。手に持つにしても、ストラップで首から下げるにしても、存在感ありまくりです。Summicronのような小ぶりのレンズをつけていると少々バランスも悪いような気もしますし・・・でもこの「存在感」がある意味よいのかもしれません。今回久しぶりに東京に持ち込んで使って見ましたが、「撮ったったで」感というのでしょうか。そういう満足感を与えてくれるような気もするわけです。

ということで、少々尻切れトンボになってしまっておりますが、気が向いたらまた別の機会にもう少しM5のことを書いてみようかと思います。

 

「Leica M3の系譜学」

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Leica M3 Double Stroke + Elmar 5cm F3.5 + Fujicolor 100

「たとえば民衆が雷をその雷光から分離して、雷光は雷という主体の行為であり、主体の作用であると考えるのと同じように、民衆の道徳もまた強さ〈そのもの〉と強さの〈現れ〉を分離して考える。あたかも強い者の背後にはもっと別の無頓着な〈基質〉のようなものが控えていて、それが強さを現すのも現さないのも、自由に決めることができると考えるようなものである。しかしこうした基質などは存在しないのだ。行為、作用、生成の背後には、いかなる「存在」もない。「行為者」とは行為の背後に想像でつけ足したものにすぎない──行為がすべてなのである。」

ニーチェ. 道徳の系譜 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.734-739). Kindle . 

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6.ライカM3は、よく選んで、買え。

イカM3はファインダー、採光窓、測距計の小窓の周囲に施された「額縁」が好き嫌いが分かれるところかもしれませんが、個人的にはこの額縁があるせいでカメラの背が少し低く横長に、スマートに見えるような気がして、好きです。こちらは先日入手の初期型73万台のダブル・ストローク。そうです、「ライカの中でも最高の操作感を味わえるのはM3の初期型、ラチェット式でなくスプリング式の巻き上げレバーのシルキーな感触が堪らないのだ!」・・・という巷の噂にすぐ踊るタイプの私、数年前に入手の100万台のシングルストロークを持っているにもかかわらず「M3、おかわり!」してしまったのでした。

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Leica M3 Single Stroke + Elmar 50mmF2.8

で、実際どうなの、「シルキーな巻き上げ」っつうのは?っていうことなんですが・・・お店でチョコチョコと巻き上げてシャッター切ってみた時は「お、これがシルキーってやつ?」って思ったんですが、家に持ち帰ってフィルムを入れて巻き上げてみると、どうも、思いのほか重たいような気が・・・えっと、こんなかんじでいいんでしょうか?というのが正直な感想でした(爆死)。オーバーホール済みって聞いてたんだけどな。。

ですので、もし「M3初期型のシルキーな感触を感じてみたい!」とM3初期型の購入を考えておられる貴兄におかれましては、ぜひ慎重に、コトを進めていただくのがよろしいのではないかと、思います。

ちなみに、「調整不足?」と考えた私はわりと有名なライカの修理屋さんに電話してみたところ「M3初期型は修理受け付けてません」と、にべもないお言葉。。。まあ、60年も昔のM3の初期型を好き好んで持ってるような人だと、直しても「イメージと違う」「シルキーじゃない」とか言い出したりして、トラブルになることが多そうな気はします。

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Leica M3 Single Stroke + Elmar 50mmF2.8

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Leica M3 Double Stroke + Elmar 5cm F3.5

当たり前かもしれませんが、シングルストロークとダブルストロークで撮れる写真の写りに特に違いはありません。正直、これからM3の購入を考えておられる方がおられましたら、やはり年式の新しいシングルストロークを選ぶというのが無難というか、真っ当なライカ人生と思います。

そんなわけで、「もしかして、俺、やらかした?」と思ったダブルストローク機購入のお話だったのですが、しばらく使っているうちに、これはこれでなんだか愛おしくなってくるというか、いや、やはりいいな初期型は!っと感じるようになってきました。やはり、なんというのでしょうか、それまで全く存在しなかった一眼式のレンジファインダーが、この世に生まれた一番最初、前提もない、ベンチマークもない、「背後に行為者のない行為」と言いますか、1954年のゲルマンの空に響き渡った雷鳴一発、それがライカM3なのだ。

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それはともかく、中古のライカM3購入時に予算との兼ね合いでしばしばお悩みポイントとなる2点・・・その1)軍幹部のキズ、その2)バックドアの軋み について、シングルストローク機の購入時に譲歩した時の反省を踏まえて、今回は妥協せずに綺麗な個体を選んだので(その代わり、SS機の倍のお布施をする羽目になりましたが・・)やはり手にもって「なでなで」するぶんには満足度が高いです。M3やM2は前オーナーがライカメーターをつけ外しした時のスレ傷が軍艦部に残っているものが多くて、これはもうそういうものと割り切るしかないと思うのですが、やはりキズがあるよりはない方が気持ちはいいですね。あとバックドアが微妙に軋む個体も少なくないと思うのですけど、これも別に光線漏れがするとかそういうことはないので、実用上全く問題にはならない、とはいえ、手にもっていじっている時に「キシ」とかいわれると、ちょっとテンションが下がるんですよね。。なんのテンションかわからないけど、何かのテンションが。。

実用上初期型でちょっと困るのは、シャッター速度が100分の1秒の下が50分の1秒で、その下が25分の1秒で、ちょっと露出調整がしにくい・・・IIIfみたいに75分の1があるといいのにな。

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Leica M3 + Elmarit 90mmF2.8 + Kodak Tri-X @ Paris

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Leica M3 + Elmarit 90mmF2.8 + Kodak Tri-X @ Paris

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Leica M3 + Summicron 35mm + Kodak Tri-X @ Barcelona

ところで、今回は割と在庫の多いお店で色々な個体を見せてもらったのですが、製造番号と仕様が明らかに食い違っている個体が混じってて(70万台なのにファインダー枠切り替え用のレバーがついているとか)そういうのって買う方で見分けないと、お店の人は残念ながら教えてはくれないので、やはりある程度自分でお勉強していったほうが、後で残念な気持ちにならずに済むと思います。まあ、私のM3も実際のところどうかわかりませんが、チェックポイントは、ファインダー枠切り替え用レバーの有無、シャッタースピードが倍数系列か、大陸系列か、巻き上げノブの中の目印(古いものから横棒、赤点1個、赤点2個と変わっている)、巻き戻し用のスプール解除レバーの長さなどなので、ぜひ勉強されてください。

幸運を祈る!

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Leica M3 + Summicron 35mm + ProviaF100 @ Barcelona

値段をつけること、価値を測定すること、同等な価値のあるものを考えること、交換すること──これらは人間のごく最初の思考において重要な位置を占めていたものであり、ある意味では思考そのものだったのである。

 

ニーチェ. 道徳の系譜 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1293-1295). Kindle . 

 

ちなみに近所の行きつけの本屋さんでは600円の値段がつけられておりました。。

 

 

ライカと「實朝」問題

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4. M6TTLを買え。

おほ君の 勅を畏み ちゝわくに 心はわくとも 人にいはめやも 源實朝

「ちゝわくに」って、「乳湧く」っていうこと?(笑)って調べたら、「千々分に」つまり「さまざまに」っていう意味のようだ。王様の話を聞いてあれやこれやと想いがよぎぎっても人には言わないで、ということですか。

確かに、偉い人の話を聞いて感じたことをそのまま会見などで言っちゃうと、色々大騒ぎにはなるのかな?気をつけよう。

さて、来年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」ということらしい。主要御家人と呼ばれる人たちはたくさんいて、誰がどれだったか常にわからなくなるので、ドラマで整理してくれると嬉しいけど、でも結局北条義時以外は、最終的にはみんな殺られちゃうんですよね。

初代将軍 頼朝 1199年 事故死

梶原景時 1200年 鎌倉追放後、討死

比企能員 1203年 謀反を理由に襲撃されて滅亡

二代将軍 頼家 1204年 修善寺にて殺害

畠山重忠 1205年 謀反を理由に襲撃されて滅亡

和田義盛 1213年 北条氏に対抗して挙兵、討死

三代将軍 實朝 1219年 暗殺。

こうしてみると、實朝って、この非常に血生臭い時代の中、実に16年に渡って将軍職を務め上げてるんです。しかもその間に「金槐和歌集」という日本文学史上屈指の作品まで残している。Shogunでありながら、Poetでもあるという、まさに二刀流、鎌倉時代大谷翔平のような存在なのだ。将軍といっても武芸の才はなく、ひ弱で、蹴鞠をやったり歌を詠んでいるだけで、そのうち船を造って中国に行きたいと言い出したり、朝廷の官位を欲しがったりしてご意見番大江広元に「武家の棟梁なんですから、もっとしっかりしてくださいよ!」って怒られたりもしてたようですが、そんなぼーっとした感じで16年はもたない情勢だったのではないかと、私のような凡人でも想像してしまうところです。少なくとも、王様の話を聞いて感じたことをあけすけに人に話しているとそのうちエライ目にあう、ということを理解するインテリジェンスというかバランス感覚があった人ではないかとお見受け致し申す次第である。

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Leica M6TTL + Summicron 35mm + Kodak Ektar

しかし、手放したカメラで撮った写真って、後で見返してみるとなんだかよく見えてしまうのはどうしてなんでしょう。

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Leica M6 TTL + Summicron 50mm + Fujicolor 100

光線漏れで一旦入院してしまった私のM6 Wetzlerモデル。そのとき私は思ったのであった。このような不測の事態に備えて、やはりバックアップのライカが必要である、と。そしてもう一点、M6を使ってみて気が付いたのは、ファンダー倍率0.72倍のM6に35ミリのレンズをつけた場合、眼鏡着用者の私がファインダーを覗くとフレーム枠が蹴られてしまい、フレーム枠の外側が視野に入らないのである。これまた何かの雑誌の記事か何かで「ライカの魅力は、視野枠の外が確認できるので被写体の動きを予測しやすいから、スナップでシャッターチャンスを逃さないのだ・・・!」という言説を聞き齧っていた私は「せっかくのレンジファインダー機なのに、フレーム枠の外側が見えないのでは、ライカの本当の性能を堪能できないではないか」という妄想に取り憑かれたわけである。そしてさらに諸々のライカ本やネット上の情報を漁っているうちに「M6TTLにはファインダー倍率が0.58倍のものがあり、これならば28ミリのレンズをつけてもフレーム枠の全体を見渡すことができるのだ!」ということを知ったわけです。

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Leica M6 TTL + Summicron 35mm + Kodak TriX

5. M6TTLとM4-2を交換してはいけない

ストーレージを漁ってみると、このTTL、結構いろいろなところに持ち出して使っていたことがわかります。確かに年式が新しいだけあって露出系はM6よりもずっと正確で使いやすかったな。元箱付きでミントコンディションだった僕のM6TTL、なんで手放しちゃったんだろう俺。しかもM4-2と交換したんだったよな。ほとんど正気の沙汰とは思えないが、これがライカウイルスの恐ろしいところで、なんでM4-2が欲しくなったかというと、例の「TTLはカメラの背丈が2ミリ高い」という点がずーっと引っかかってしまっていたことと、カメラのトップカバーの上に「Leitz」の70年代ロゴが白い文字で入ってますっていうところが良かったんです。はい、ほとんどというか完全に莫迦です。

もし手持ちのM6TTLをM4-2と交換することを考えている人がいたら、そんな人多分いないとは思いますが、とにかく、私の経験上、これはもうはっきりと申し上げることができるわけであります。やめておきなさい、と。

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Leica M6 TTL + Summicron 35mm + Provia 100F

M4-2って、ライカが半分倒産しかかってた時にカナダで作られたものだから、品質が悪いっていう噂がありますよね。。あれ、実際噂じゃないです。。ホントだと思います。私のM4-2だけかもしれませんが、結構色々持病があります。特に困るのが、マウントが歪んじゃっているのか、純正のレンズでもくっつかない(ストッパーがカチンとなるところまで回せない)レンズがあるということです。。ただ、なんなんでしょう。出来が悪い子ほど可愛くなるっていうのか、そういう側面もあるような気がして、私のM4-2にはこれまた曇り玉という噂のある、実際に前玉の外側20%くらいレンズが曇っている、ミノルタの28ミリをつけて、リコーGRデジタル用のちっちゃい28ミリファインダーを付けて、使っています。このM4-2も手放すことを考えた時期もあったのですが、やはり置いておこうと思っています。と、言いますのは売っても二束三文にしかならないのと、トップカバーが真鍮で出来ているM3やM2に比べると、亜鉛合金製で軽い(から安っぽく感じるのですが)ということ、あと、パンデミックが終息して将来もしまた海外遠征に行けるようになった場合のことを考えると、最近都市部でも物騒になってきているようですから、暴漢に襲われたりする可能性も考慮しなければならない今日このごろ、盗られても金銭的ダメージが少ないライカとレンズ、ということで、この色々と持病のあるM4-2と曇ったミノルタの28ミリのコンボ、予期せぬ重要性が増しているということに気がついたからです。

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とはいえ、このように見た目はなかなか質素ながらもワイルドな雰囲気を漂わせるM4-2、距離計が1メートルを超えるところでパララックスが引っ掛かるという持病はありますが、1メートルよりも近距離で撮らなければ問題ないし、一部のレンズ(例えば、手持ちのものではエルマリート28ミリ(第二世代))がつかないといったって、別のレンズをつければ良いわけで、特に問題なく(?)写真は撮れるのです。突如としてどしゃ降りに見舞われたパリの街角でスナップした時にも使ったけど、傘を片手に、手荒に扱ってもあまり惜しくないところが、ある意味美点といえばいえるかもしれません。

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Leica M4-2 + Summicron 35mm + Tri-X

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Leica M4-2 + Summicron 35mm + Kodak Tri-X

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Leica M4-2 + Summicron 35mm + Kodak Tri-X

さてはて、いつになったらまたパリに行ってストリートスナップ撮れるようになるのかな。

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Leica M4-2 + Summiron 35mm + Kodak Tri-X

「しかし、この全国的な戦乱は、決して<暗かった>わけではない。戦乱も合戦も単純で直截で愚かでというように、人間の心の動きと行動を規制してしまう。むしろ健康で、<建設的>で、痴呆でといったものが社会を支配する。これは戦乱をしらないものにいくら強調してもたりないくらいである。かれらはもしかすると、健康的で明るく<建設的>であることが平和の象徴だと錯覚しているかもしれないから。そう教え込んだものたちが痴呆なのだ。実朝の生涯を世情として規定していたものは、こういう明るい危うさであったといってよい。」

吉本隆明源実朝ちくま文庫より) 

今読み進めている本。文庫本はもう中古でしか手に入らないようです。

タイトルの「惜別」という小説は読んでいないのですが、それはともかく、「右大臣実朝」はおすすめです。

「アカルサハホロビノ姿デアロウカ。」

太宰は実朝の台詞をカタカナで書いているのだけど、これは他愛のないことのように思えて、なかなか思いつかないアイディアではないか。

 この文庫本の中に隠されている(?)「実朝」という評論を読んで鎌倉三代将軍のことを改めて知るようになった。「実朝」を含め、戦時中に描かれた日本文学に関する一連の評論は、いずれも面白くて、味わい深いものがある。