しまりす写真館の現像室から

カラーネガフィルムでユルめに写真を撮っています

ライカと「實朝」問題

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4. M6TTLを買え。

おほ君の 勅を畏み ちゝわくに 心はわくとも 人にいはめやも 源實朝

「ちゝわくに」って、「乳湧く」っていうこと?(笑)って調べたら、「千々分に」つまり「さまざまに」っていう意味のようだ。王様の話を聞いてあれやこれやと想いがよぎぎっても人には言わないで、ということですか。

確かに、偉い人の話を聞いて感じたことをそのまま会見などで言っちゃうと、色々大騒ぎにはなるのかな?気をつけよう。

さて、来年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」ということらしい。主要御家人と呼ばれる人たちはたくさんいて、誰がどれだったか常にわからなくなるので、ドラマで整理してくれると嬉しいけど、でも結局北条義時以外は、最終的にはみんな殺られちゃうんですよね。

初代将軍 頼朝 1199年 事故死

梶原景時 1200年 鎌倉追放後、討死

比企能員 1203年 謀反を理由に襲撃されて滅亡

二代将軍 頼家 1204年 修善寺にて殺害

畠山重忠 1205年 謀反を理由に襲撃されて滅亡

和田義盛 1213年 北条氏に対抗して挙兵、討死

三代将軍 實朝 1219年 暗殺。

こうしてみると、實朝って、この非常に血生臭い時代の中、実に16年に渡って将軍職を務め上げてるんです。しかもその間に「金槐和歌集」という日本文学史上屈指の作品まで残している。Shogunでありながら、Poetでもあるという、まさに二刀流、鎌倉時代大谷翔平のような存在なのだ。将軍といっても武芸の才はなく、ひ弱で、蹴鞠をやったり歌を詠んでいるだけで、そのうち船を造って中国に行きたいと言い出したり、朝廷の官位を欲しがったりしてご意見番大江広元に「武家の棟梁なんですから、もっとしっかりしてくださいよ!」って怒られたりもしてたようですが、そんなぼーっとした感じで16年はもたない情勢だったのではないかと、私のような凡人でも想像してしまうところです。少なくとも、王様の話を聞いて感じたことをあけすけに人に話しているとそのうちエライ目にあう、ということを理解するインテリジェンスというかバランス感覚があった人ではないかとお見受け致し申す次第である。

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Leica M6TTL + Summicron 35mm + Kodak Ektar

しかし、手放したカメラで撮った写真って、後で見返してみるとなんだかよく見えてしまうのはどうしてなんでしょう。

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Leica M6 TTL + Summicron 50mm + Fujicolor 100

光線漏れで一旦入院してしまった私のM6 Wetzlerモデル。そのとき私は思ったのであった。このような不測の事態に備えて、やはりバックアップのライカが必要である、と。そしてもう一点、M6を使ってみて気が付いたのは、ファンダー倍率0.72倍のM6に35ミリのレンズをつけた場合、眼鏡着用者の私がファインダーを覗くとフレーム枠が蹴られてしまい、フレーム枠の外側が視野に入らないのである。これまた何かの雑誌の記事か何かで「ライカの魅力は、視野枠の外が確認できるので被写体の動きを予測しやすいから、スナップでシャッターチャンスを逃さないのだ・・・!」という言説を聞き齧っていた私は「せっかくのレンジファインダー機なのに、フレーム枠の外側が見えないのでは、ライカの本当の性能を堪能できないではないか」という妄想に取り憑かれたわけである。そしてさらに諸々のライカ本やネット上の情報を漁っているうちに「M6TTLにはファインダー倍率が0.58倍のものがあり、これならば28ミリのレンズをつけてもフレーム枠の全体を見渡すことができるのだ!」ということを知ったわけです。

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Leica M6 TTL + Summicron 35mm + Kodak TriX

5. M6TTLとM4-2を交換してはいけない

ストーレージを漁ってみると、このTTL、結構いろいろなところに持ち出して使っていたことがわかります。確かに年式が新しいだけあって露出系はM6よりもずっと正確で使いやすかったな。元箱付きでミントコンディションだった僕のM6TTL、なんで手放しちゃったんだろう俺。しかもM4-2と交換したんだったよな。ほとんど正気の沙汰とは思えないが、これがライカウイルスの恐ろしいところで、なんでM4-2が欲しくなったかというと、例の「TTLはカメラの背丈が2ミリ高い」という点がずーっと引っかかってしまっていたことと、カメラのトップカバーの上に「Leitz」の70年代ロゴが白い文字で入ってますっていうところが良かったんです。はい、ほとんどというか完全に莫迦です。

もし手持ちのM6TTLをM4-2と交換することを考えている人がいたら、そんな人多分いないとは思いますが、とにかく、私の経験上、これはもうはっきりと申し上げることができるわけであります。やめておきなさい、と。

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Leica M6 TTL + Summicron 35mm + Provia 100F

M4-2って、ライカが半分倒産しかかってた時にカナダで作られたものだから、品質が悪いっていう噂がありますよね。。あれ、実際噂じゃないです。。ホントだと思います。私のM4-2だけかもしれませんが、結構色々持病があります。特に困るのが、マウントが歪んじゃっているのか、純正のレンズでもくっつかない(ストッパーがカチンとなるところまで回せない)レンズがあるということです。。ただ、なんなんでしょう。出来が悪い子ほど可愛くなるっていうのか、そういう側面もあるような気がして、私のM4-2にはこれまた曇り玉という噂のある、実際に前玉の外側20%くらいレンズが曇っている、ミノルタの28ミリをつけて、リコーGRデジタル用のちっちゃい28ミリファインダーを付けて、使っています。このM4-2も手放すことを考えた時期もあったのですが、やはり置いておこうと思っています。と、言いますのは売っても二束三文にしかならないのと、トップカバーが真鍮で出来ているM3やM2に比べると、亜鉛合金製で軽い(から安っぽく感じるのですが)ということ、あと、パンデミックが終息して将来もしまた海外遠征に行けるようになった場合のことを考えると、最近都市部でも物騒になってきているようですから、暴漢に襲われたりする可能性も考慮しなければならない今日このごろ、盗られても金銭的ダメージが少ないライカとレンズ、ということで、この色々と持病のあるM4-2と曇ったミノルタの28ミリのコンボ、予期せぬ重要性が増しているということに気がついたからです。

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とはいえ、このように見た目はなかなか質素ながらもワイルドな雰囲気を漂わせるM4-2、距離計が1メートルを超えるところでパララックスが引っ掛かるという持病はありますが、1メートルよりも近距離で撮らなければ問題ないし、一部のレンズ(例えば、手持ちのものではエルマリート28ミリ(第二世代))がつかないといったって、別のレンズをつければ良いわけで、特に問題なく(?)写真は撮れるのです。突如としてどしゃ降りに見舞われたパリの街角でスナップした時にも使ったけど、傘を片手に、手荒に扱ってもあまり惜しくないところが、ある意味美点といえばいえるかもしれません。

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Leica M4-2 + Summicron 35mm + Tri-X

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Leica M4-2 + Summicron 35mm + Kodak Tri-X

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Leica M4-2 + Summicron 35mm + Kodak Tri-X

さてはて、いつになったらまたパリに行ってストリートスナップ撮れるようになるのかな。

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Leica M4-2 + Summiron 35mm + Kodak Tri-X

「しかし、この全国的な戦乱は、決して<暗かった>わけではない。戦乱も合戦も単純で直截で愚かでというように、人間の心の動きと行動を規制してしまう。むしろ健康で、<建設的>で、痴呆でといったものが社会を支配する。これは戦乱をしらないものにいくら強調してもたりないくらいである。かれらはもしかすると、健康的で明るく<建設的>であることが平和の象徴だと錯覚しているかもしれないから。そう教え込んだものたちが痴呆なのだ。実朝の生涯を世情として規定していたものは、こういう明るい危うさであったといってよい。」

吉本隆明源実朝ちくま文庫より) 

今読み進めている本。文庫本はもう中古でしか手に入らないようです。

タイトルの「惜別」という小説は読んでいないのですが、それはともかく、「右大臣実朝」はおすすめです。

「アカルサハホロビノ姿デアロウカ。」

太宰は実朝の台詞をカタカナで書いているのだけど、これは他愛のないことのように思えて、なかなか思いつかないアイディアではないか。

 この文庫本の中に隠されている(?)「実朝」という評論を読んで鎌倉三代将軍のことを改めて知るようになった。「実朝」を含め、戦時中に描かれた日本文学に関する一連の評論は、いずれも面白くて、味わい深いものがある。