しまりす写真館の現像室から

カラーネガフィルムでユルめに写真を撮っています

ライカ共同幻想論:その後、そして「写真への旅」

ポジフィルムの現像が上がってきました。この前に現像したエクタクロームはなんだか色合いが変だったけど、今回の2本は、賞味期限を3月ほど経過していたにもかかわらず、特に問題なく、すっきりと撮れていました。

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2021年、夏

 

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2005年、秋(「Coyote」No.9 January 2006より)

確かマンションというかアパートのような建物が立っていて、ここまでは引けなかったような気がする。猫も通り掛からなかったし。

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Leica M5 + Elmarit 28mm (2nd.) + Kodak Ektachrome

猫は暑さでへたばってました。。歩く気力もなし。

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Leica M5 + Elmarit 28mm + Kodak Ektachrome

文京区の吉祥寺にて。 

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Rollei 35 + Tessar 40mm F3.5 + Kodak Ultramax

これは真冬のパリのチュイルリー公園にて。 

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ミシシッピ州タラハッチ郡〜「William Eggleston's Guide」より。東京の街中だと、なかなかここまで「引いた」写真は撮れません。やっぱり、国土が狭いからですかね〜。

「・・・このニコンSPのファインダーのいいかげんさが、私に安堵感をあたえていた。あまりにも正確に現実を切り取ってしまう一眼レフのファインダーによって、現実があまりにも写真に、風景になってしまうことが、イヤになっていたのであった。空しかったのだ。一眼レフのファインダーは棺桶に思えた。・・・」

荒木経惟「男と女の間には写真機がある」所収「私現実ーあるいは風景写真術入門」「WORK SHOP」3号昭和50年3月1日号より引用)

レンジファインダーカメラの魅力をここまで如実かつブンガク的に表現した人は、アラーキーをおいて他にいないのではないだろうか。

ということで、最近アラーキーづいている私は、近所の古本屋で発見した写真集「東京物語」「冬へ」そして書籍「写真への旅」をまとめて「爆買い」したのであった。そして、昨日は雨の中都電に乗って三ノ輪まで行き、アラーキーの生家があったという浄閑寺通称「投げ込み寺」斜め向かいの交差点を激写してきたのでした。。真っ黒クロの「棺桶」カメラ、キャノンF-1にて。。

そのような理由で、昨年夏より続いた私の「ライカ・モード」は、台風10号が連れてきた土砂降りの雨とともに、あるいは「東京オリンピック」とともに、ひとまずの終焉を告げ、また一眼レフに手が伸びるようになってきました。

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朝日ソノラマ 現代カメラ新書No.13「写真への旅」荒木経惟 昭和51年5月25日初版発行

「写真への旅」を読んで、「写真は順光で撮らなければ、写らない」ということを教えられました。しかし、キャノンF-1は重いので、文鎮がわりにもなるんですよね。頼りになるカメラです。

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 「写真への旅」も、上に引用した「私現実」という文章も、昭和50年(1975年)ごろに書かれたものなんだけど、読んでいて感じるのは「言葉」の重みのようなものです。本当に、好き勝手なことを、書いているのだけれど、でも、誰かがどこかで言ったこと、書いたこと、そういうものではない、アラーキーその人の、自分の「言葉」で書かれているのですよね。当たり前ですが。でも、その当たり前だったはずのことが、何か懐かしい昔話のように感じてしまうのは、何故なんでしょう。

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Leica M5 + Elmarit 28mm + Kodak Ektachrome

 例えば、ここに柳美里という小説家の「JR上野駅公園口」という小説がある。

「昔は、家族が在った。家も在った。初めから段ボールやブルーシートの掘っ建て小屋で暮らしていた者なんていないし、成りたくてホームレスに成った者なんていない。こう成るにはこう成るだけの事情がある。サラ金の高利子の借金が膨らんで、夜逃げしたまま蒸発した者もいれば、金を盗んだり人を傷つけたりして刑務所にぶち込まれ、娑婆に出ても家族の許には帰れないという者もいる。会社をクビになって、女房に離婚されて子どもも家も取られて、捨て鉢になって酒や賭け事に溺れて一文無しになった者、転職を繰り返してハローワークに通い詰めても希望する職が見つからず、気落ちして脱け殻みたいになった四、五十代の背広を着たホームレスもいる。」

 

柳美里. JR上野駅公園口 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.923-930). Kindle . 

ここで描出されている世界は、すでに全ての事柄、全ての人間について、評価が下され、判断がなされ、固定されて、いわば「氷結」された世界の中で、あたえられた想定内の「役割」を表出する「記号」としての人間であり、そこには「存在」などというおこがましいものはない。

これに対して、昭和50年(1975)年において我々が、というか、アラーキーが認識把握し、言語化した世界とは、このようなものであった。

「あいかわらずのアルチュール・ランボーの私は、二日酔いとゲリバラで、地下鉄日比谷線六本木に着いた途端、もう我慢できなくなった、トイレを捜したのだが、見つからない。たいがいは、駅のトイレの位置はわかるのだが、六本木の駅のトイレはわからなかった。(中略)とにもかくにも、地下鉄日比谷線六本木に着いた途端、私は懸命になってトイレを捜したのだ。見つからないのだ。私も初老なのだろうか。勘が鈍っている。もー駅のトイレはあきらめた。そーっと階段をあがって地上に出た。すぐさま卑猥なピンクの『アマンド』にはいった。はいってすぐトイレに行くのは格好悪いので、まずいコーヒーを注文して、ワインの試し飲みの感じで一口飲むと、さも余裕ありげにトイレへと直行した。ああ!掃除中なのである。私は平然と肛門括約筋をしめて席にもどった・・・」

荒木経惟「写真への旅」所収「私はダイアン・アーバス」より引用。)

アラーキーの文章には、目の前にたちあらわれる「手付かず」の、「生まれたばかり」の現実というものにたいして、「カメラ」と「ライオン印の万年筆」だけで、まさに「徒手空拳」で立ち向かおうとするひとりの人間の姿が、間違いなく描きだされているのであって、それ(「私」が「徒手空拳」であること)はアラーキーの写真についても同じことがいえるように思う。六本木の駅を降りたときにゲリバラに襲われた人間の行動とは、まさに想定外の緊急事態宣言なのである・・・まあ、「アマンド」に入って、そこのトイレを使わせてもらうというのは、さほど独創的、とまではいえない、としてもである。そう思うのは、もしかして私だけなのかもしれないが、しかし、そう思う私が存在することだけは、これはもう誰にも疑うことができないのである。