しまりす写真館の現像室から

カラーネガフィルムでユルめに写真を撮っています

帰省、そして、ワールド・エンド

ヴァルター・ベンヤミンはカメラが発明される前までの〈芸術〉は意識が支配する〈芸術〉であったが、カメラは〈芸術〉に無意識の領域を持ちこんだとし、それを評価した。私もそう考える。」

(「決闘写真論」篠山紀信中平卓馬 発行日1977年9月20日第一刷 朝日新聞社

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デジタルカメラで撮った写真は数ヶ月で忘却の彼方なのに、フイルムで撮影した写真はそうではない、ということを前回書いたのだけど、正直言いますと、前回貼り付けた4枚目の写真は、撮影したことを全く忘却していたのでした。つまり、デジタルであれ、フィルムであれ、忘れるものは忘れる、ということなのである。

しかし、ライカM3で撮影した写真をアップしようと「M3」をキーワードにFlickrの写真を検索しているうちに、この写真に目が止まった。現像してもらって、写っている映像を確認した後、そのまま忘れてしまっていたのですが、4年以上の時間を隔てて、あらためて見返してみると、水が抜かれて干からびてしまった広場の噴水の縁に女性が向かい合うように腰を下ろしており、その女性に向かって、こちらに背を向けている少年との3人は、親子であろうか。そしてこの3人とは関係なく、左側にアフリカ人と思しき男が一人、ギターをつま弾いている。彼の向こうにもう一人、背を向けている女性がやはり水の枯れた噴水の淵に腰掛け、そして、噴水の奥の建物の閉ざされた扉の前に2人の女性が腰を下ろしている。ところで、この扉はまるでもう何十年もの間、開かれたことがないのではないか、と感じさせるほど、硬く閉ざされている。

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このシーンについて、今僕が覚えているのは、ここがバルセロナのゴシック地区と呼ばれる旧市街の中にある、とある広場で、ある夏の午後に撮影したものだ、ということだけだ。この映像自体に、僕の「意識」は含まれていない。もし含まれていたとしても、4年ほどの間にそれは蒸発してしまったようだ。そうすると、もはやこれは僕が撮った写真ではないということになるのか。

ところで、今日貼り付ける白黒の写真は、去年の10月に帰省した時に撮影したものです。小学生2年生から、中学1年まで住んでいたところなのですけど、あの頃、駅前の広場では、いつも10人くらいの子供たちが集まって、ボールあそびをしたりしていたものですが、今回、気まぐれで電車を降りて、次の列車が来るまでの1時間ほどの間、28ミリのレンズを付けたライカM5片手に歩き回ったのですけど、ひとっ子ひとり、歩いていない。出会ったのは、いっぴきの黒猫だけだったのでした。

まさに、「世界の終わり」が来たとき、世界はこんなかんじになるのかな、と思わせるものがあったのでした。

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子供の頃に親しんでいたはずの風景のあまりの変わりっぷりに、あっという間にフィルム一本を撮り切ってしまったのですが、お店で現像&スキャンしてもらったきり、なんとなく、見返してみる気が起きないままに、放っていたのでした。

懐かしい僕の「フルサト」が喪われてしまったことを再確認することが、ちょっと辛いような気がしたからかもしれません。単に、忙し過ぎた、というだけかもしれないけれど。

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上で引用した「決闘写真論」は、近所の古本屋で見つけて購入した物なのだけど、この本を読んで実に圧倒されるのは中平卓馬氏の怒涛のような叙述、言説の奔流、ページを開き手を伸ばすと、ズブズブと飲み込まれていくのではないかとさえ感じさせる、活字化され、充溢する豊穣でありながら、どこか際限のない砂漠か、沼か、を思わせる思・考空間なのである。写真家とは、いや、「人間」とは、これほどまでに執拗に思・考し、暑苦しいまでに言・述する生々しく、騒々しく、熱っぽい、身勝手な、生・物だったのである、ということに、中平卓馬氏は気づかせてくれるのだ。

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「別の言い方をすれば、不断に自己を超越している存在の永久革命。心のトロツキストとして自己を定立するのかしないのか、ということである。『受容的』であるとはただ受け身であるということではない。その反対だ。解体と再生の永久運動を我が身にひきうけること。そんな時、アトムとしての〈私〉などはただの保身を指すに過ぎない。「私は〈存在〉を乗り越える限りにおいて〈存在〉と連帯している」とフランツ・ファノンは言った。そのことだ。」

(「決闘写真論」篠山紀信中平卓馬 発行日1977年9月20日第一刷 朝日新聞社

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この本が発行されたのは1977年である。僕がこの小さな街にやってきたのは1972年の終わりだったはずだ。そして1979年の春にここを去った。あのころ、この小さな田舎まちは人々と、人々の声や歓声とでみたされていた。今、ここには何もない。この本の中での中平卓馬氏のように、世界と自分の関係について執拗に思・考し、熱っぽく言・述する写真家もいない。50年足らずのうちにまるで皆、あたかも「蒸発」してしまったかのようではないか。

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Leica M5 + Elmarit 28mm F2.8 (2nd Generation) + Tri-X

末端から、少しずつ壊死しようとしているかのような世界の「端っこのほう」の姿を撮ることに、今年は時間とお金をかけてみようかな、と思う令和4年の年頭における僕の所感、なのです。
「受容的であるということはただ受け身であるということではない、その反対だ。」書き手の創造性を否定しながら、読者の「復権」と唱えたロラン・バルトを引用しつつ、写真を「再読」することにある意味を主張する中平卓馬氏の言説には、デジタルカメラで撮った写真と、フイルムで撮った写真との異差を言語化するための手がかりがあるような、気が、するのだが、悲しいかな、この50年の間に、中平氏が「われわれの欲望、本能の構造までも管理され、収奪されている」と憎み、恐れたその目に見えぬ「構造」のなかで飼い慣らされて摩耗し切ったひ弱なこの「思考」では、それから先に踏み込むことができないままに、今夜も私は、愛用の5年落ちのマックブックを閉じるしかない、のである。