しまりす写真館の現像室から

カラーネガフィルムでユルめに写真を撮っています

スメルジャコフ曰く:「賢い人とはちょっと話すだけでもおもしろい」

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Leica M5 + Elmarit 28mm + Kodak Tri-X

「神さまがぼくの心に、兄さんにそう言うようにって、務めを課したんです。たとえ、この瞬間から、兄さんが永久にぼくを憎むことになろうとです・・・」(光文社「カラマーゾフの兄弟 4」第11篇 「兄イワン」より)

昨年来読み続けてきたこの本も、けつまつまで400ページのところまで迫ってきましたが、ロシアって昔はソ連って呼ばれてたんですよね。そして、昔はヨーロッパに行くのには、アンカレッジ経由で北極の上を飛んでいかないとならなかったんですよね。

さいきん1980年代のできごとを調べたり、確認するのがひつまぶしいやひまつぶしの趣味になっています。ソ連の領空上で民間の旅客機が撃墜されるという事件が起きたのも、1983年のできごとでした。私にとっての1980年代は、ジョン・レノン射殺事件に始まり、昭和天皇のご崩御に終わった、という認識であるが、世界的には、「ベルリンの壁の崩壊」が1980年代を締め括る大事件だったのだろう。

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Leica M5 + Elmarit 28mm + Kodak Tri-X

なぜ、今、1980年代かと言うと、ふとしたはずみでひさかたの光のどけきはるのひのひさかたぶりに村上春樹の初期3部作を読んで、その続きで、「羊をめぐる冒険」のその後の物語である「ダンス・ダンス・ダンス」をほんとうに久しぶり、多分最初に買って読んだ時以後、再読したのは初めて?かどうか思い出せないくらいに久しぶりに読んだわけです。しかし、中盤までは楽しく読んでいたのですが、最後まで読んで、この小説があまり好きにはなれなかったことを思い出しました。。個人的には一番好きなのは「1973年のピンボール」で、その後の「羊」からははんぶんファンタジーの世界に行っちゃって、若干ついていけない感じがあり、「ダンス・・・」ではまるまるファンタジアになってしまってるというのもあるのだけど、この話、最後まで読むと、ものすごい不安感のようなものに襲われてしまうのですよね。。

(以下、「ネタバレ」を含むので、これからこの本を読もうと思っている人は、ご注意ください。)

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Leica M5 + Elmarit 28mm + Kodak Tri-X

この物語は1983年3月に始まって、それから3ヶ月程度、たぶん夏がくる前ごろに終わる。全体において、「僕」が考えたり、想像したりしたことが、全てそのとおり、思いのままになるというある意味「チョー便利」なおはなしで、話が行き詰まりそうになると超能力者みたいな女の子が出てきて、解決してくれたり、もしくは解決へのいとぐちを教えてくれる。寂しくなって13歳の女の子にワインやカクテルのお供をさせても誰も文句をいわない。いくら酒を飲んでも車に乗るときまでにはアルコールは抜けている。そして死すべき者が死に、死んじゃ困る人は「消えて」はいるけど「死んで」はいないことになるという、どれくらい便利かというと、壁を通り抜けて、向こう側に行ったり、こっち側に戻ってきたり、自由にできるぐらい、便利、まさに自由自在、融通無碍、なのだ。

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Leica M5 + Elmarit 28mm + Kodak Tri-X

KINDLE電子書籍版にはないけど、僕が持っている紙の単行本にはみじかい「あとがき」があって「この小説は一九八七年十二月十七日に書き始められ、一九八八年の三月二十四日に書き上げられた。」とある。ある意味1980年代をふりかえりながら書かれた小説と言えるのではないか、という気がします。

この小説のあちらこちらで出てくるのが「高度資本主義」という言葉です。「羊をめぐる冒険」が1978年の7月に始まって、その年の秋(北海道の北のほうの山の上で雪が降り始めるころ)に終わるのですが、1978年といえば日経平均株価が五千円ぐらいで始まって六千円ほどで終わってる。この物語の舞台設定となっている1983年は八千円ほどで始まった株価が一万円まで上がってる。

この小説が書き終えられた1988年3月24日は日経平均終値25,781円だ。そして1989年の1年の間に九千円近く上がった日経平均株価は年末に38,915円と、四万円のてまえまで高騰した。

すごーい。今から考えるとまるで夢か幻のような世界。「高度資本主義」のもとで、日本はまさに「なんでも思いどおりになる、チョー便利」な世界だったのかもしれない。

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Leica M + Summilux 50mm

あと、この小説の主人公って、自由文筆業というか、いわゆる「フリーター」のような生活をしてるのですね。浅田彰の本がヒットして(「構造と力」が発刊されたのも1983年だ)、いちばんイケてるテツガク的ポジションが「スキゾキッズ」などといわれてたころ組織にしばられない「フリーター」的生き方ってけして皮肉とかでなくて、憧れの職業とされていたように思う。日経平均株価に象徴される大きな「波」の上に乗っかっていれば、まあ食うには困らないわな、という雰囲気があったような記憶があります。

1990年の10月1日に日経平均株価は二万円近くまで下げて、バブルは終焉を迎えることになるのですが、その前夜とも言える「チョーイケイケ」な世界を背景としているのがこの「僕」を主人公とする一連の物語の4作目(多分5作目は、もうないのでしょうね。あれば面白いと思うけど)と、いえるのではないかと思いました。

でも、なんでも思ったとおりになって、壁の向こうとこっち側を自由に行き来できるようになってしまうというのは、ある意味、とても不安な状態ともいえるのではないかと思ってしまうわけです、壁が壁でなくなってしまうということは。エレベータを降りたら真っ暗な別の世界だった、というこの小説の主人公たちのように、ふと気がついたらあっち側に逝ってっちゃっていることもありうるわけで。

あのバブルの「上潮」に乗っていたときの僕らにとっては、この物語の結末はポジティブに受け止めることができたのかもしれないけれど、あの神話のその後の顛末を知ってしまったあとで読んでみると、不安しか感じない、ということなのかな。

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Leica M + Summilux 50mm

ところで、この小説の最初の方で、登場人物の女の子が「ウォークマン」でロックを大音量で聴いている、というシーンがあるのですが、それに影響されてしまいました私は、久方ぶりにソニーの「Walkman」を買ってしまったのでした(ほんとうに影響されやすい性格なのです)。で、使ってみて、iPhoneがどれだけ使いやすいか、よく分かったというわけなのですが(というか、小さな液晶の上でGoogleやMoraを設定するのに手間取ってしまって、「昔は、買って箱から出して、電池入れてカセット入れたら聴けたのにな」と思いました)、もう一つ発見してしまったのが、「ハイレゾ」って確かに音が違う、少なくとも私のやや難聴気味になってきたポンコツ耳でも違うような気がする、ということです。もしかして、ハイレゾ音源って、普通の音源と違うと感じるように編集してんのかな、と勘ぐりたくなるくらいです。

ということで、今月はハイレゾ音源にすっかり散財してしまいました。。

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この2冊、当時買った初版なのですが、いまだに手元にあるのが不思議です。「ハードボイルドワンダーランド」や「ノルウェイの森」も本が発売されたその日くらいに買って読んだのですが、人に貸したきり返ってこなかったり、実家を処分した時にまるごと廃棄したりでもう残ってないのだけど、村上春樹の作品の中ではどちらかというと苦手だったこの本だけが、手元にあるということは、いつか忘れたけど実家の本棚から救出したのかな。しかし実家から救出したとすれば、これよりも好きだった「ハードボイルドワンダーランド」がもう手元にないのが不思議だ。ピンクの箱に入ってて、綺麗な本だったので、持ち出すとすればそっちだったはずなのだけど。

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Leica M + Summilux 50mm

いずれにしても、当時は、まさか早稲田大学村上春樹の図書館ができる、しかも超一流の建築家がデザインしたピッカピカのが、なんてことは、まったく予想もつかなかった。ジェイや鼠がこのことを知ったら、なんて言うだろう。ジェイならフライドポテト用のじゃがいもの皮むきの手を休めて「へえ」というかもしれない。鼠だったら、飲みすぎたビールを吐きだすために、慌てて洗面所にむかうのかもしれない。双子の女の子だったら、右側が「すてきね」と言い、左側が「すごい」と言うのかもしれない。羊男だったら・・・

まさに「この世界ではなんでも起こりうるんだよ。なんでも」ということなのでしょうか。