しまりす写真館の現像室から

カラーネガフィルムでユルめに写真を撮っています

Leica M:ときには星の下で眠る

「オートバイは、直線ののぼり坂にかかった。平野は、両手を空にむけて高くさしのべた。

 空にむかってせりあがるように頂上に出た瞬間、青い空や透明な風が彼をオートバイごと空中にひきあげてくれるような、強烈な錯覚があった。」

(「ときには星の下で眠る」片岡義男 角川文庫 昭和55年5月25日初版発行 昭和59年2月20日 10版発行)

Leica M + Summilux 50mm

 

多忙である。ありがたいことではあるが、一体いつまで多忙なのだろうかと思うと、不安になる。2週連続の3連休も仕事である。一体どうしたことであろうか。

思えば昔からこんな感じである。友達とツーリングの約束をしている土曜日に限って、仕事の用事が入る。「〇〇くん、悪いけど、君も出てきてくれる〜」っと言われてしまうのだ。1990年代初頭のこととて、もちろん休日出勤手当も残業代も出ない。出そうか?という話もなかったのだ。というか、はっきり「申請してはいけない」って言われてた。。おおらかというか、なんというか、「時代」だったな。

というわけで、土曜日の午後、仕事が終わってから、先に出発した連中を追いかける。職場のロッカーに入れてた革ジャン、皮パンに着替えて、走る走る。

僕が乗っていたのはヤマハのSRだったけど、排ガス規制前のモデルだったから、まだパワーがあった。世紀が変わってから排ガス規制で排気口からバイパスをつけられたSRに乗っていた時期もあったけど、「へ?」ってくらいにパワーでなくて、麦草峠の坂を登らないんだよね。登りのカーブで失速しそうになって、危うく転びかけた。

夕方の4時ぐらいに銀座あたりの職場を出て、民宿にいる先輩たちに合流するために西伊豆の雲見まで走ってったことがある。辿り着いたのは夜の10時過ぎで、先輩たちはもう食事も済ませてしまっていて。でも宿のおばさんがおにぎりを作ってくれていて、嬉しかったな。あの嬉しい気持ちは、30年以上経っても、覚えている。

小淵沢の少し手前の合宿所にいる仲間と合流するために夜の中央高速を1人で走ったこともよく覚えている。甲府を過ぎたあたりから始まる坂ってなんていったっけ。長坂?あのあたりが「北杜」なんていうシャレオツな名前になる前の話だ。すっかり陽が沈んだあとのあの坂を登りながら、バイクのヘッドライトを消すと、星が夜空を埋め尽くしていることがわかる。星空に向かって疾走しているように錯覚できるのだ。パリパリパリ、とスーパートラップ(っていうのがあったな。今でもあるのかな)のマフラーの音をたてながら合宿所への坂を登っていったら、みんながわーって出てきて出迎えてくれたことも、よく覚えている。

今は、バイクのエンジンをかけると自動的にヘッドランプがついて、走りながらヘッドランプを消すっていう自由はライダーから奪われてしまったから、あんなことはもう出来ないんだろうな。

何でもかんでも「自動化」するっていうのもいかがなものかと思う。っていうことで、マニュアルフォーカスのライカMは、いいのだ。でも、自動露出は、はっきりいって、チョー楽だけど。

冒頭に引用した片岡義男の文庫本は、確か、大学生の時に、下宿の近くにあった本屋でふと手に取って買ったもののはずだ。高校生の時にずいぶんオートバイに憧れていたから、片岡義男の本はほとんど読み尽くしていたようにおもうのだけど(「オートバイは僕の先生」という短いエッセイの中に、オートバイに乗ることの魅力はとても短く凝縮されて、語り尽くされてしまっているので、それ以上に付け足すことはもうないのだ)、この文庫本は買ったぎり、ずいぶんあとになるまで読まなかったように思う。学校を卒業して、働き始めて給料をもらうようになって、じぶんのバイクを買って、そうして初めて読んだ本だったように思う。