しまりす写真館の現像室から

カラーネガフィルムでユルめに写真を撮っています

Nikon S2: 「撮って、と被写体が囁く」

オリンパスOM-1を僕が初めて見たのは、四国の高知市内だった。播磨屋橋からさほど遠くない裏通りに面した写真機店の、とおりがかりの人たちに外から見てもらうためのウインドーの棚に、新品のOM-1が置いてあった。・・・三人は立ち止まってOM-1を見た。編集者も写真家も、OM-1が欲しいと言った。持ちやすそうだ、というのが写真家の評価だった。」

片岡義男東京物語小学館文庫「撮って、と被写体が囁く」(1998年4月1日初版第一版刷発行)所収)

片岡義男.com」というウェブサイトで片岡義男氏の過去の作品を読むのが最近の通勤電車での時間の潰し方の定番となっている。過去の作品といっても、私の個人的、直接的な片岡義男作品の読書体験は、1983年頃までなのだが、1990年代以降も片岡氏が活発に文筆活動をしておられたことを知った。その中でも当ブログに関連する分野において今回発見してしまったのは、彼が、カワサキ650RS W3を愛したのと同じくらいの熱意で、オリンパスOM-1を愛しておられたのであった、ということである。

さて、私がオリンパスOM-1の現物を初めて見たのは、東京都世田谷の自由が丘だった。東急東横線の駅からさほど遠くない裏通りに面した写真店の店の中の戸棚に、中古のOM-1がおいてあった。・・・その時私は二日続けての徹夜明けの朦朧とした頭であったのであったが、立ち止まってOM-1を見た。編集者と写真家はいなかったが、私の中のもう一人の私が欲しい、といった。私は店の主人に「このカメラ見せてください」といった。持ってみると、手のひらに程よく収まる大きさで、使いやすそうだった。ファインダーの一部に汚れがあり、裏蓋がギシギシ軋むのが気になったが、古いカメラのこととて、こんなものなのだろうと思った私は、徹夜続きのストレスからくる物欲になす術もなく押し流されて、店の主人に「これください」といった。それが私のOM-1第1号機である。

正直なところ、70年代の古い一眼レフが実用になるとは思っていなかったのだが、使ってみると写真を撮ることは十分できるということを学んだ私は、すぐにもっと程度のいい個体を買って、本格運用してみたい、と思うようになった。この時、私のオリンパスOM病が発症したのであった。

終業時間を待ちわびて日比谷線に乗り、秋葉原にて下車した私の姿は午後6寺半にはにっしんカメラの店内にあった。「物欲の地獄門」と呼ばれる「Jカメラ」にてそこに程度の良い銀色のOM-1Nが在庫していることを確認済みの私は、素早く店頭にて現物を確認。今回はファインダーの腐食もなく、裏蓋の軋みもない。私はその個体を購入し、さらに名玉と言われるOM Zuiko 35mmF2.0も大人買いしたのであった。

さらにその後、夜中にふと目覚めた時にヤフオクでポチッとしてしまったOM1-Dに続き、再びにっしんカメラにて黒のOM-1も購入。私のOM-1は4台にまで増えてしまった。こんなにたくさんのカメラを使えるわけもなく、その後私は1号機と、巻き上げが少々重く感じたOM-1Dを放出したのであった。

今でもそうなのかもしれないが、当時にっしんカメラは、オリンパス系のフィルムカメラの在庫の充実した店であった。なんだかんだでお店に立ち寄るたびに、ショウケースの中に並べられた程度の良いOMボディが私の物欲をそそりまくるのであった。結局私はその後、OM-2 Spot Programを購入に及び、さらに別のお店で見つけたOM-2Nもコレクションに加えることとなった。(その過程で、Pen Fも購入してしまった。)レンズも21ミリF3.5、28ミリF3.5、35ミリf2.8、50ミリはF1.8とF1.4、そして大枚叩いてOMズイコー随一の名玉との誉高い100ミリF2.0まで揃えてしまったのであった。

OMシリーズの弱点は、プリズムの腐食と言われている。しかし私が手に入れたOMカメラたちはいずれもクリアなファインダを維持していて、その後腐食が進む兆候もない。フルマニュアルのOM-1については、シャッター音は「シャキン」、という割と甲高い音である。オート露出のOM-2は「パシャん」という柔らかい音を立てる。いかにもフィルム面の露光量を測定しながら注意深くシャッター幕を走らせているような気がするが、それは気のせいであろう。少々ガッカリとしてしまったのはOM-2SPの巻き上げ時の手触りで、「ぎしょっ」という感触に最初は「これ、壊れてるんじゃないか」と思ったけど、この機種については、どうもこういうものらしい。

私がOMシリーズに入れ込み始めた5年ほど前には、まだ中古店でも程度の良いOMレンズをよく見かけたが、最近本当に見かけなくなった。今でも後悔しているのは、にっしんカメラが在庫していた、85ミリの購入を見合わせたことである。元箱入りの、新品同様品だったのだが・・・今や、欲しくても買うことはできない。

「物欲の地獄門」と呼ばれる「J Camera」で検索してみると、幻の名玉と言われる40ミリが20万円オーバーでオファーされている。私はこれを買うことになるのだろうか。ひとまず本日新宿Mカメラで発見した50ミリマクロF3.5を確保しておきました。。

ところで、「片岡義男.com」で「撮って、と被写体が囁く」の全編を読み切った私は、アマゾンにて中古の文庫本を取り寄せたのである。思いついた時に、気の向いたページをぱらぱらと読んで楽しむという目的においては、電子書籍は役に立たない。だからこうして紙の本を買うことがある。しかし、買って気がついたのは、小学館文庫で使用されている文字の字体と大きさが、違和感を禁じ得ない、ということである。文字が大きすぎて、文字間、行間が詰まりすぎている。活字も、当時はこんな字体が流行っていたのかもしれないが、少々ファンシーすぎるようである。このため、そこに記述されていることに、感情移入というか、没入することが少々難しいように感じる。

Nikon S2 + Nikkor S.C. 5cm F1.4 + Fujicolor 100

それはそれとしても、この文庫本の182ページから195ページまでは、片岡氏のOM-1愛がびっしりと記入されているのであって、あのなんとも頼りないシンプルな露出計の針も、片岡氏にしてみればこれ以上のものはあり得ない最高の露出計と言うことになるのであって、オリンパスOMシリーズが好きな方は、ぜひ一読してみることをおすすめする次第である。

「OMは小さい、とじつに多くの人たちが書いてきた。小さいという言いかたは、しかし、正確ではない。この機能ならこれだけのスペースのなかに収まる、という思考とそれを実現させる技術の勝利した結果の、必然としてのサイズなのだから、適正なサイズと呼んだほうがいい。」

片岡義男「空と猫たちの庭」小学館文庫「撮って、と被写体が囁く」(1998年4月1日初版第一版刷発行)所収)

と、ここまでOM-1のことばかり書いてきておいてアレなのですが、今回の写真はいずれもニコンS2で撮影したもの、です。これはこれで、なかなかに魅力的なカメラなのです。完全等倍のファインダーは見やすく、メッキのボディは重すぎず、そして何よりオールドニッコールの性能はじつに侮ることができないものがある。

本当に素敵なカメラが多すぎて、じつに忙しい。