しまりす写真館の現像室から

カラーネガフィルムでユルめに写真を撮っています

ハロー、マイ・ネーム・イズ・ケン・オカ


ハロー、マイ・ネーム・イズ・ビル・ブラウン

ハウ・ドゥー・ユー・ドウー

ハウ・ドゥー・ユー・ドゥー

ジス・イズ・ア・スクール

ザット・イズ・ア・ホール

イズ・ジス・ア・パーク?

エス・イット・イズ

ウワット・イズ・ジス?

イッツ・ア・チャーチ

中学校一年生の時に使っていた英語の教科書の最初のチャプター。確かこんな感じだったように記憶している。

知り合いの方のご家族が亡くなった時、僕らは「ご愁傷様です。」と言い、「ご冥福をお祈りします。」と言う。ところで「愁傷」って、どういう意味なのか。「冥福」とはなぜ「冥福」なのか。「愁」とは「悲しい」ということである。「傷」とは怪我などをして傷ついた部分である。そうすると、親族を亡くした悲しみによって傷ついた部分を「愁傷」と言い、これに「ご飯」の「ご」と「王様」の「様」をつけて奉った感じにするのが「ご愁傷様」なのか。では「ご愁傷様です」という時、いったい何・誰が「ご愁傷様」なのか。死んだ本人なのか。それとも目の前にいる故人の家族なのか。なぜ「あなたはご愁傷様です」もしくは「お亡くなりになった方はご愁傷様です」とは言わないのか。もしかすると「私は御愁傷様である」と威張っているのか。結局のところ、「ご愁傷様です」と我々が口にするとき、それは具体的にはどういうことを意味するのか。「冥福」の「冥」は「冥土」の「冥」であり、「福」は「幸福」の「福」である。ということは、あの世でのお幸せをお祈りします、という意味なのか。そうであれば、なぜ私たちは直接「お亡くなりになったお父様(お爺さまでもおばあさまでもなんでも良いが)があの世でしあわせにお暮らしになられることを私は願っています。」とは言わないのか。ところで実際私たちが「ご愁傷様です」「ご冥福をお祈りします」という時に、私たちは本当に「あなたの心が悲しみで傷ついていることは私にもよく分かるように思います」「お亡くなりになったあの方があの世で幸せにお暮らしになられるように天に祈りを捧げています」と思っているのか。死んだ後に「幸せに暮らす」ことはそもそも可能なのか。

ああ、だんだんと頭がおかしくなってきた。

こんなことを言い出すと、人に嫌われるようになる。これが老害化するということなのか。僕らはもちろん知っている。私たちが「ご愁傷様です」「ご冥福をお祈りします」という時、私たちは言葉にできないものを伝える「記号」を交換しているのであり、そこに意味があるかどうかは問題ではない。そこには意味はないが、意味されるものはある。そしてそれが何を意味するかは明らかにされることはないし、できないのである。なにしろそれは「言葉にできない何か」だから、どのようにがんばったとしても、言葉にすることはできない。なぜならば、それを言葉にした瞬間に、それは「言葉にすることのできない何か」ではなくなってしまうから。しかし日本人であるならば、当然に「察する」ことができる。「察しあう記号の交換」それが「日本語」という私たちの言語なのだ。

「赤信号」自体には、意味はない。しかし、「赤信号」を見たら、目の前の道路を横断してはいけない、なぜならば、左から、もしくは右から自動車が相当程度の速度で進行してきて、その場合には私の左側面、または右側面が、当該自動車の前面部分に相当程度の強度で衝突することとなり、その結果、私の腰骨が粉砕されることになるかもしれないし、私の身体は衝突の衝撃がもたらした多大な運動エネルギーによって何分の1秒ほどの時間空中を飛んだのち、アスファルトの路面に叩きつけられた頭蓋骨が破裂して、脳漿を辺りに撒き散らすことになる可能性がある、ということを意味していることを知っているのだ。

カメラがカメラに埋もれるようになってきた。そして、自分でもどのカメラを使いたいのかよくわからなくなってきた。これは問題である。このカメラを使っているときは「あのカメラを持ってくればよかった」と思い、あのカメラを持っていこうとすると「いやいや、あっちのカメラの方が良いのでは・・・」と思うようになる。これは精神衛生上よろしくない。

思い出も、思い入れもあるカメラたちだけど、一人の人間が使えるカメラには限界がある。手は左右一対しかなく、両手でカメラを保持すると、シャッターを押せる指は結局ひとさし指一本しかないのだ。私は田中長徳氏ではないし、赤城耕一氏でもない。

そこで、今、私「断捨離モード」です。

そこでまずは、しばらく戸棚の上で埃を被り、防湿庫の中で眠りこけていた、ペンタックスの一眼レフ(SL)とキャノンのレンジファインダー(7)と50ミリレンズ、そしてミノルタの一眼レフ(X700)に旅立ってもらった。どのカメラを買うかを考えるのも楽しいが、どのカメラを残すかを考えるのも結構楽しい。そしてわずかばかりながら、お小遣いがもらえる。買った時に払ったお金のことを思い出すと少し眩暈がしはじめるが、まあよいではないか。ちょっとそこの居酒屋で、やきとんにホッピーで乾杯だ。

そんな冬の午後も、わるくはない。

「責務という観念は、常に天吾を怯えさせ、尻込みさせた。責務を伴う立場に立たされることを巧妙に避けながら、彼はこれまでの人生を送ってきた。人間関係の複雑さに搦め捕られることなく、規則に縛られることをできるだけ避け、貸し借りのようなものを作らず、一人で自由にもの静かに生きていくこと。それが彼の一貫して求め続けてきたことだ。」
村上春樹. 1Q84BOOK1〈4月-6月〉後編(新潮文庫) (Japanese Edition) (p.185). Kindle 版. 

村上春樹のこの小説、単行本が出版されてまもなく3巻とも買っていたのだが、冒頭の2章を読んだきり、どうも興味が続かずにそのままになっていた。しかし、ふとしたはずみに電子版をダウンロードして読み出して2巻の半分あたりまで来た。なんというか、状況設定は救い難いまでに不愉快なものなのだけど、ストーリーがうまく回り始めると読み続けてしまう、そんな物語だと思った。それに、昨今問題になっている宗教二世のことが一つの主題になっていて、そういう側面においても、今が「読みどき」の本なのかもしれない。

「タマル」が「青豆」に拳銃の使い方を諭す場面では、武器そして死が人に抱かせる恐怖が読んでいるこちらに確実に伝わってくる。

「人が自分の命を絶つというのは、そんなに簡単じゃない。」
村上春樹. 1Q84BOOK2〈7月-9月〉前編(新潮文庫) (Japanese Edition) (p.78). Kindle 版. 

Leica M6 TTL + Elmarit 28mmF2.8 + Kodak Tri-X

高等学校の英語の先生をしていた叔父が、僕が中学校に上がったときに、お祝いだと言って英語の教科書(New Prince)の内容を録音したテープ教材をプレゼントしてくれた。ちょうど、その数ヶ月前に僕は初めてラジカセを買い与えてもらっていたが(ちなみにそれは、母親が質屋で適当に見繕ってきたものだったので、どちらかというと実用向けに作られた、スピーカーが一つしかない愛想のない外観をしたラジカセで、着脱可能な無線マイクが内蔵されていて、ボタンを押すとマイクがぴょんと飛び出して、離れたところからマイクを通してラジカセのスピーカーで音声を出す、という、中学生の私には特に使い道のない機能が備わっている珍妙なものであった)、そのラジカセの再生機能を発揮させるためにテープを何度も聞いているうちに教科書の中身を全部覚えてしまった。
数年後、大学の英語学科に入学し、初めての夏休みに帰省した際に叔父の家を訪れたとき、叔父は突然妙な質問をしてきた。

アメリカ人の家に招かれて、食事をご馳走になったとする。食事が済んだ後、そのお礼を君はどのようにいうか?」

前後の脈絡なくされた突然の問いに半分呆れたことのほか、僕がなんと叔父に答えたかは覚えていない(どちらかというと、突然僕を試すような質問をされたことに少々の反感を感じたような記憶がある)が、叔父は「その食事のどれが、どのように美味かったかを説明するのだ」ということを正解として教えてくれた。

そのときは、「はあ、そうですか」と聞き流して終わった(そして、そんなことを長々と説明しなければならないとしたら、それはずいぶん面倒くさいことだ、できれば外国人の家に招かれてそのようなややこしい場面に陥ることのないようにしたいものだ、とぼんやりと考えていたかもしれない)のだけど、叔父が教えてくれたことには、思いがけず深く広い意味があったのではないか、という気がしている。

アメリカに住んでおられるライカマニアの男性のブログをずっとフォローしていたのだけど、その方が癌で闘病の後、1月9日に亡くなった。奥さんがそのことを知らせるポストをアップロードされていたので、何かお悔やみの言葉をポストすることを考えたときに、気がついた。

僕には「ご愁傷様です」「ご冥福をお祈りします」という便利な「記号」があるけれど、これはアメリカ人である奥さんには伝わらない。結局のところ、僕の思・想を伝えるには、故人が書き継がれてこられたブログの内容のどこが、どのように面白く、有益であったかを具体的に記述するしかないのである。便利な記号ではなく、自分の頭で考えて組み立てた、自分の言葉で。それは面倒くさくてややこしい作業なのだが、結局のところそれしか方法はないのだ。

数年前、同じく癌で他界したあのおじさんが教えてくれた通りだ。

ご冥福をお祈りします。

Rest in piece.

Timothy Vanderweert 1958-2023