しまりす写真館の現像室から

カラーネガフィルムでユルめに写真を撮っています

Leica M3: 人生に憧れが必要であるということ。憧れなき人生に意味がないこと。

私は、「ライカM3」が好きです。

形が可愛いのだ。日曜日の午後、ビールを飲みながらネット記事を見たり、写真雑誌をパラパラとめくったり、ぼんやりしているうちに無性に「ライカM3」が買いたくなる。「ライカM3」は所有欲、購買欲、物欲、顕示欲、あらゆる欲を満たしてくれる。

「ライカM3」を手にし、ネックストラップでぶら下げている時、私はまごうことなき、磐石の、「自己肯定感」に包み込まれそして満たされているのである。

なぜでしょう。

そんな物欲その他諸々の欲に押し流されて、ダブルストロークのM3を2台目のM3として2年前?にお迎えしたのだが、結局先日手放してしまった。買った時の金額から売った時の金額を差し引きすると、クラクラと眩暈がしてくる。

今改めて計算して、改めてクラクラしている。もう山本リンダに勝るとも劣らないまでにクラクラきちゃう。このクラクラはビールの飲み過ぎのせいもあるのかもしれないが、それだけでは無いと思われます。

「もうライカは買わないぞ!」と、2台目のライカをろくすっぽ使う機会もなままに手放したその時に心を決めたのだけど、ふと気がつくとまったりとした日曜日の午後、またダブルストローク機を検索してしまったりしている私。「学習能力ないんか!」とじぶんに問いたくなる。はい、ないんです、学習能力。

「ライカM3」ならやはりダブルストローク機だと思う。ビミョーなんだけど、ダブルストローク木の方がシングルストロークよりも少しだけ、横長に見える。それが実にスマートなのだ。こんなスマートなカメラ、無いと思う、うん。

ああヤバい。こんなことを書いているうちにまた「ライカM3」愛が燃え上がってきた。

そんな時にはこのようなWebページが参考となるわけである。

camerafan.jp

 sunrise-photo.net

leica.xxxxxxxx.jp

繰り返しいう。もうライカは買いません。M3の2台目を買うなんて、もってのほかじゃ。流石の私とて、多少の学習能力はあるのじゃ。

考えてもみよ。私の所有するこのM3シングルストローク。いや確かに軍幹部の傷は目立つし、バッグドアのパコパコはかなりの症状である。しかし、駄菓子菓子、このM3はシアトルにも持っていき、雨のバルセロナの真夜中の旧市街での撮影にも酷使、パリでも50ミリのエルマー、90ミリのエルマリートとの組み合わせで使いましたが、いくらバックドアがパコパコしてても、光線漏れの症状が出たことはないし、シャッター不調もないし、これまでそこそこの本数のフィルムを通してきて、一体何本になるか数えてはおらぬが、常にそのお役目をしっかりと果たしてくれたのであった。

そもそもこの愛用のM3の元々のお値段が「常識」の範囲内であったのじゃ!

で、あれば、なんぞ今更素性のわからぬM3を買って新たな偶発債務を負担することがあろうか。いや、ない。

 

ないのじゃ!

ないのじゃけど、中古カメラ店の店頭で中古のライカを見定めるときのあのなんとも言えぬ快感というのでしょうか。あのスリルとサスペンスをもう一度味わいたくなってしまって、私はまたどこかの街の中古カメラ店にて、中古のライカM3の値定めをしているのかもしれない。

Canon New F-1 + 35mmF2.8 + Provia F100 PDPIII

と言いながら、今回の画像は全てキヤノンNew F-1でポジフィルムを使って撮影したものであって、「ライカM3」とはなんの関係もなかったりするので、あった。