しまりす写真館の現像室から

カラーネガフィルムでユルめに写真を撮っています

僕のローライ絵日記

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最近のお気に入りはこの古いペンタックスの一眼レフと「Maker's Mark」のバーボン。「Maker's Mark」は最近コンビニでも売ってるけど、700mlのボトルが2,000円足らずで、結構お求めやすいのですよね。開封するときに赤いロウ(ゴム?)引きのキャップカバーを剥がすのも、なんとなく楽しい。

少し前まではシングルモルトやジャパニーズウィスキーがお好きな私でしたが、ふとしたはずみでバーボンの美味しさに開眼してしまい、コロナ禍になって以来ウチ呑みのお供はバーボン一本槍です。「IW HARPER」もお味のコスパが良いのでお好きなのですが、バーボンってアメリカの芋焼酎的なポジションなのでしょうか。ジャパニーズウイスキーも「山崎」や「響」が「高嶺の花」となり、シングルモルトも7、8千円もすることを考えると、バーボンはグッとお財布に優しいので、おすすめです。

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Rolleicord + Xenar75mm + Fujipro160ns

今年も萩の季節になりました。といっても、この夏はおかしなお天気で、妙に寒かったかと思うと急に暑くなったり、ザーザー雨が降ったりで、近所のお寺の萩もどうも元気がありません。まあ、ちょっと元気がなさそうに見えるのがこのお花の魅力でもあるのですが。

萩の花 くれぐれ迄も ありつるが 月出でて見るに なきがはかなさ  源実朝

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Rolleicord + Xenar 75mm + Fujipro160ns

ここのところ、このローライコードでの撮影にハマっています。フィルム1ロールあたり12枚しか撮れず、一カットあたりのコストを考えると膝が萎えそうになりますが、スキャンした画像を見ると、緻密というのでしょうか、解像度が高いというのでしょうか、んーと、ボキャブラリーが貧困で大変お恥ずかしい限りですが、アホアホみたいにパカパカシャッターを切ろうという気にはなりませんが、なんかお気に入りの一枚の生まれる確率も高いように思います。

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Rolleicord + Xenar 75mm + Fujipro160ns

数年前に買ったカメラ雑誌を見返していたら、「フィルムってのは、1日かけて日記を綴るように36カットを使うものだ」という言葉に出会いました。トイレでナルホド!と膝を打つ私。36枚だと最初の方で何を撮ったか忘れてしまいますが、12枚なら覚えていられる。

今日は朝から大雨で撮影に出掛けられなかったけど、明日はローライ(コード)で一日かけて写真日記をつけてみようかな。

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ローライフレックスもかっこいいなと思いますが、お値段もはりますし、重いしで、私的にはこのローライコードでじゅうぶん。一番人気はVb型ですが、御徒町のきくやカメラでいくつか在庫品を見せてもらった結果、絞りやシャッタスピードのレバーを操作しやすいV型にすることにしました。Vb型は、レバーをちょっと押し込んで動かすようになっているのが、誤動作防止のためだと思いますが、個人的には少々ストレスフルに感じてしまったのです。

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レンズシャッタのカメラって、シャッタチャージした後にシャッター速度を変えると、シャッター機構に負荷がかかるのですね。きくやカメラのお兄さんに教えてもらいました。優柔不断な私の場合、露出決定に際してもチマチマと絞り変えたりシャッター速度いじったりするのですが、ローライフレックスは巻き上げるとシャッターチャージされてしまう、ということは、構図決めて、露出決めてからあのなんていうんですか、グルーンってヤツを回して巻き上げと同時にシャッターチャージ、そのあとはシャッター速度変えちゃダメっていうことになりますよね。なるのかな?

ローライコードの場合は巻き上げとシャッターチャージの操作が別々なので、一枚撮影→すぐにフィルム巻き上げる→次の被写体発見→うじうじ悩んで、露出と構図決定→テークレンズの下のレバーをジリリっと引いてシャッターチャージ&レリーズ、っていう流れの方がリズムが掴みやすいのです。少なくとも私にとっては。

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腹が減っているのでしょうか。こういうのをみるとどうしても撮影したくなってしまいます。それにしても、「たまご丼」と「カツ丼」の150円の差って、微妙だな〜。カツ丼が安く見えるというか、意外とたまご丼って高級品なのね、っていうか、そういえば生まれてこのかた、「たまご丼」って一度も食べたことがないような気がするので、今度頼んでみようかな。「力うどん」っていうのも、おもち入りのうどんなんだと思うけど、食べたことないんだよな。50ねん生きてても、食べないものは食べないんですよね、ニンゲンって。

このあたりに、人間の認知能力の限界というか、経験値の限界というか、えーっと、なんていうんでしょう、みんなそれぞれなんでも知っているように思っているけど、実は知らないことってきっとたくさんあるのだ、といいたい。

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「いや、俺は、中華料理屋さんの壁にかけてあるメニューを右端の『ザーサイ(おつまみ)150円』から左端の『エビチリ1800円』まで、一つ残らず、食べたよ」っていう人もいるのかもしれないけど。

ところで、商店街の外れの小さな中華料理屋さんっていうかラーメン屋さんのメニューに「エビチリ」とか「フカヒレ」とか書いてあるけど、あれって常時材料を仕入れているのかな。。余計なお世話かもしれませんが、昔から気になっています。

街を歩いていると、つくづくこの世界って、謎が尽きないな、ということに改めて気がつくのであった。

「サイモンとガーファンクル」

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サイモンとガーファンクル」って改めて文字で書いてみると、少々古めかしい気がする。「サイモン・アンド・ガーファンクル」の方がイマ風の耳あたりだ。イマ風といっても、彼らの歌がメーンテーマだった頃から数えてみると、かれこれ半世紀が過ぎ去ろうとしているのだ。これって、チャイコフスキーの時代に、ベートーベンを愛聴しているようなものといってもよいのであろうか。

ことほどさように、かつて開高健が吟じたとおり「橋の下をたくさんの水が」流れるのである。

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西暦1954 → 西暦2009

さて、ライカM3からリコーGRDIIIへ、写真機も50年の間にこれほど変わる・・・というわけで、無理矢理今日のお題であるリコーGRデジタル3に話を繋げる。

リコーGRは一時期、GRデジタル3、GRデジタル4、APSーCサイズのセンサーを積んだGRの初代を持っていたけど、後の2者は別のカメラ機材購入の際に下取りしてもらい手放してしまいました。GRD3はその時すでに10,000円くらいにしかならない状況だったので、発売とほとんど同じタイミングで正規のお値段(?)で買ったお品物という愛着もあり、私の手もとで朽ち果ててもらうことにしたのです。

といっても、最近は電源を入れることもなくなり、手狭になった防湿庫からも追い出されてしまっておりました私のGRD3、ふと思い立って家の中のものを撮って見たところ、画像設定がスタンダード(カラー)ではなんだかクセのある色味でしっくりこないのですが、白黒モードならぜんぜん使えると感じ、ひさびさに予備のバッテリーも充電して、持ち出してみました。

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Ricoh GR Digital III

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サイモンとガーファンクル」の「America」という歌のなかに「Kathy, I'm lost, I said, though I knew she was sleeping」っていう一説があります。寝てるのわかってんなら、話しかけんなよっていう話じゃないということに、先週の金曜日ついに、というか、ようやく、気がつきました。寝てるのわかってても、話しかけないとならない時があるというか、寝てて聞いてないからつぶやくことができるときって、あるんじゃないかな、ニンゲンって。

「すみません、またこっそり一台、写真機買いました・・・」

ってことじゃなくて。

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GRDIIIって、オートフォーカスは「ウーン、チャッ」っていう感じの動きで今となっては相当遅いし、フルサイズでも相当コンパクトになってきた近時、もうこれはないでしょうってくらいの小さなセンサーで、常にパンフォーカスなんですが、ライカで街を撮るときも結局F11ぐらいまで絞って、マニュアルでフォーカスしているわけですし、写真屋さんのスキャンの画像ファイルなんて1メガもないので、結局これでいいんじゃないかという、なんでしょう、達観したというか、悟りが開けたというか、諦めがついたというか、そんな心境であります。

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この小ささ、軽さ、そして、設定がややこしすぎないというか、機能が豊富ではないというか、ハッキリいえば貧困なので、逆にいうとあまり色々悩まずにシャッターを押せるというのが良いのかもしれません。これがフジのX100Vとかだと、ファインダーにするかOVFにするかEVFにするか、それとも背面液晶で撮るか、背面液晶はチルトさせるか?画質モードも十種類くらいあるけど、どれにします?白黒?アクロスにする?カラーフォルター効果かけてみる?ってか画角もクロップして50ミリでも撮れるわよ、どうする?どうする?ってカメラが色々話しかけてくるので、おちおち写真も撮ってられないという矛盾した状況に追い込まれてしまうわけです。

まさに「ハムレット」の「since brevity is the soul of wit. And tediousness is limb」(簡潔こそ知恵の魂。さすれば、冗長は手か足のようなものでございます)ということですか。

ところで、こんど「GRIIIx」っていうのが発売されるのね。換算焦点距離40mmのレンズ積んだやつ。「GRは28ミリだろっ」とか、「なんだかフジのクラッセみたいになってきたな」っていう気もしますが・・・興味あります。

きっと機能てんこ盛りなために使いにくいというこの「逆説」に正面から向き合うことになるんだろうとは思うけど、買っちゃいそう。。

そのときには、寝てるときに話しかけて「黙認」をもらうことにしようと思います。

 

Canon F-1:「昭和ノスタルジア」とは何か。

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また悪い癖が出てしまいました。。

或る雨の土曜日に、久々にCanon F-1を持ち出したんです。このCanon旧F-1なぜ欲しくなったかというと、記憶喪失から復帰した後の中平卓馬がこれに100ミリのマクロレンズをつけて、シャッタースピード125分の1秒、絞り11半固定で全ての作品を撮影していたという「物語」にすっかり影響されてしまった私、「中平卓馬」モデルとして、入谷にあるのになぜかアカサカカメラにてボディ購入、その後100ミリマクロもU.C.Sさんから無事に手に入れまして、何度か中平卓馬ごっこをした後、防湿庫に眠らせていたわけです。

ところが、先日来のアラーキーブームで買った「男と女の間には写真機がある」の中のエッセイにて、キャノンF-1のシャッター音について記述されていたのを見つけたのでした。

「・・・ましてや直感音感がすぐれている私が快感したのは、被写裸体を、肉体を、風景を抱擁してしまうようなシャッター音楽である。私は、シャッター音まで写っているのではないかと思想しながら、『私現実』を写していった・・・」

(「男と女の間には写真機がある」荒木経惟 太田出版 所収「私現実ーあるいは風景写真術入門」初出「WORK SHOP」 3号昭和50年3月1日号より引用しました。)

これを読んで、「そーいや、どんなシャッター音だったっけ」と久々に防湿庫から取りいだしたるマイF-1、巻き上げる感触は滑らかで、シャッター切ると「シャポンッ」という感じの音がする。これはこれで、ライカとは異なる世界の良いシャッター音だったのであった。

そこですっかりとキャノン旧F-1モードとなりました私、或る雨の土曜日に大塚駅に降り立ち、そこから西ヶ原、滝野川、あたりを抜けて、王子まで放浪したというわけです。

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Canon F-1n + New FD 28mmF2.8 + Provia 100

去年の秋以来入れっぱなしになっていたカラースライドフィルムを撮り切って、トライエックスに詰め替えます。 

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久しぶりの一眼レフですが、やはり使いやすいですね。。特にF-1はファインダーの右に縦に表示される追針式の露出計が使いやすいです。 私のF-1は後期型なので、昭和50年ごろに作られたもののはずだから、製造されてすでに45年ほどが経過しているはずなのですが、いまだ正確に露出を測ってくれてます。

で、こんなに調子いいんだったら、35ミリのレンズも持っとこうかな、と思い、秋葉原のにっしんカメラに「見るだけだから」と立ち寄ったのがウンの尽きというのでしょうか、なかなかいい感じのNew F-1が目に入ってしまったのでした。その場では、なんとか物欲を制御して、帰宅したのですが、結局・・・

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やっちまいました・・レンズとセットでボディも(笑

ただ、使ってみると、正直なところ、旧F-1の方が「使いごこち」はいいですね・・・特に巻き上げるときの感触が、ニューF-1は、色々言われているようにギリギリガッチョン、とまでは言わないけど、レバー巻き上げ、最後のところで「ガチっ」というところまでまわさないとならないので、私のように気の弱い人間には、「このまま何万回も巻き上げていくと、そのうち壊れんじゃない?」と、無用にメンタルな負担がかかります。

ただし、ファインダーは断然ニューF-1の方が明るくて見易い。ここは、70年代と80年代の世界の「見え方」を如実に反映して「歴史」の展開を感じさせる部分です。

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Canon New F-1 + New FD28mmF2.8 + Fujifilm Superia 400

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今回初めて気がついたんですが、「石神井川」って、意外にもかなりワイルドな川だったんですね。。上の写真の場所、まさに「都会の渓谷」っていう感じです。桜の花が咲くころに、また来てみたい。

この「昭和ノスタルジアとは何か」という本、新聞の書評に惹かれて買ったきり、すでに7年が経過しようとしています。毎年夏休みになるたびに「今年こそ読むぞ!」と意気込んで引っ張り出すのですが、今年もまた、さしてページが進まないままに、夏が過ぎ去って行こうとしています。

 

 

Leica M3で「濹東綺譚」

カラーネガフィルムで撮影したゆるい感じの写真をアップロードするというのが、このブログの当初の設計図だったのですが、だんだん手持ちのカメラの自慢話のようなブログになってきてしまいましたし、写真もモノクロやスライドが入り乱れてしまい、まとまりのない内容になってしまいました。

ということで、今回もモノクロフィルムで撮影したものになりますが、6月ごろの「濹東」の様子をライカM3にて撮影したものになります。

永井荷風が夜毎放浪した街の様子は、もはや影も形もないように思います。

想像力を働かせるしかないようです。想像できるだけでもマシか。そのうち想像もできない、という状況になっていくのかな。

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Leica M3 Double Stroke + Summicron 35mm + Acros II/Tri-X

Nikon F2と「濹東綺譚」

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「その夜お雪さんは急に歯が痛くなって、今しがた窓際から引込んで寝たばかりのところだと言いながら蚊帳から這い出したが、座る場処がないので、わたしと並んで上框へ腰掛けた。

『いつもより晩いじゃないのさ。あんまり、待たせるもんじゃないよ。』

(引用中略)

『それはすまなかった。虫歯か。』

『急に痛くなったの。目がまわりそうだったわ。腫れてるだろう。』と横顔を見せ、『あなた。留守番していてくださいな。わたし今の中歯医者に行って来るから。』

『この近処か。』

『検査場のすぐ手前よ。』

『それじゃ公設市場の方だろう。』

永井荷風「濹東綺譚」新潮文庫45〜46頁)

 何年か前に本屋でふと目に止まって買って帰り、最初の数頁を読んで投げ出していた永井荷風の薄い文庫本。またふと目に止まって通して読んでみました。

なかなか面白い。

というか、この本を買った当時は荒川区墨田区、足立区あたりの地理がわかっていなくて、いったい何が主題になっているのかがそもそも理解できなかったのですが、ここ2年ほど、カメラ片手に東京23区を歩き回り、墨田区から葛飾区のあたりもひと通り歩いてまわったことの見返りというか、結果として、この短い小説の骨子としているところが、理解できるようになったというわけです。

そもそも、「濹東綺譚」の「濹東」って、「隅田川の東側」っていう意味だったんですね、っていうところに気がついていなかったのですから、この物語の筋だけ理解しても、あまり意味がなかったということであったかと思います。

いや、やはりじぶんの足で歩いてみるものですね、何ごとも。

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Nikon F2 + Nikkor H Auto 28mm + Kodak Tri-X

墨東の一角にて。窓辺で客待ち顔(?)のお雪さんかと思いました。

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Nikon F2 + Nikkor H Auto 28mm F3.5 + Kodak Tri-X

『あなた。方々歩くと見えて、よく知ってるんだねえ。浮気者。』

『痛い。そう邪険にするもんじゃない。出世前の身体だよ。』」

永井荷風「濹東綺譚」新潮文庫45〜46頁)

 

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Pentax SL + SMC Takumar 28mmF3.5 + Kodak Tri-X

このアサヒペンタックスSL、近所の写真屋さんのガラス棚に飾ってあったのを、確か3千円ほどで譲っていただいたもの。ちょっとファインダーが暗すぎて、光量が少ない状態で私の老眼でピントを合わせるのは厳しいけど、広角レンズで絞り込んで距離指標を頼りに撮るぶんにはご覧の通りでよく写るんですよね。ただ、どうも機関は油切れっぽくて、しばらく使わずにいると、巻き上げレバーがキーキーいいだすので、そのうち修理屋さんでグリスアップしてもらおうと思っています。

ライカ共同幻想論:その後、そして「写真への旅」

ポジフィルムの現像が上がってきました。この前に現像したエクタクロームはなんだか色合いが変だったけど、今回の2本は、賞味期限を3月ほど経過していたにもかかわらず、特に問題なく、すっきりと撮れていました。

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2021年、夏

 

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2005年、秋(「Coyote」No.9 January 2006より)

確かマンションというかアパートのような建物が立っていて、ここまでは引けなかったような気がする。猫も通り掛からなかったし。

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Leica M5 + Elmarit 28mm (2nd.) + Kodak Ektachrome

猫は暑さでへたばってました。。歩く気力もなし。

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Leica M5 + Elmarit 28mm + Kodak Ektachrome

文京区の吉祥寺にて。 

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Rollei 35 + Tessar 40mm F3.5 + Kodak Ultramax

これは真冬のパリのチュイルリー公園にて。 

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ミシシッピ州タラハッチ郡〜「William Eggleston's Guide」より。東京の街中だと、なかなかここまで「引いた」写真は撮れません。やっぱり、国土が狭いからですかね〜。

「・・・このニコンSPのファインダーのいいかげんさが、私に安堵感をあたえていた。あまりにも正確に現実を切り取ってしまう一眼レフのファインダーによって、現実があまりにも写真に、風景になってしまうことが、イヤになっていたのであった。空しかったのだ。一眼レフのファインダーは棺桶に思えた。・・・」

荒木経惟「男と女の間には写真機がある」所収「私現実ーあるいは風景写真術入門」「WORK SHOP」3号昭和50年3月1日号より引用)

レンジファインダーカメラの魅力をここまで如実かつブンガク的に表現した人は、アラーキーをおいて他にいないのではないだろうか。

ということで、最近アラーキーづいている私は、近所の古本屋で発見した写真集「東京物語」「冬へ」そして書籍「写真への旅」をまとめて「爆買い」したのであった。そして、昨日は雨の中都電に乗って三ノ輪まで行き、アラーキーの生家があったという浄閑寺通称「投げ込み寺」斜め向かいの交差点を激写してきたのでした。。真っ黒クロの「棺桶」カメラ、キャノンF-1にて。。

そのような理由で、昨年夏より続いた私の「ライカ・モード」は、台風10号が連れてきた土砂降りの雨とともに、あるいは「東京オリンピック」とともに、ひとまずの終焉を告げ、また一眼レフに手が伸びるようになってきました。

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朝日ソノラマ 現代カメラ新書No.13「写真への旅」荒木経惟 昭和51年5月25日初版発行

「写真への旅」を読んで、「写真は順光で撮らなければ、写らない」ということを教えられました。しかし、キャノンF-1は重いので、文鎮がわりにもなるんですよね。頼りになるカメラです。

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 「写真への旅」も、上に引用した「私現実」という文章も、昭和50年(1975年)ごろに書かれたものなんだけど、読んでいて感じるのは「言葉」の重みのようなものです。本当に、好き勝手なことを、書いているのだけれど、でも、誰かがどこかで言ったこと、書いたこと、そういうものではない、アラーキーその人の、自分の「言葉」で書かれているのですよね。当たり前ですが。でも、その当たり前だったはずのことが、何か懐かしい昔話のように感じてしまうのは、何故なんでしょう。

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Leica M5 + Elmarit 28mm + Kodak Ektachrome

 例えば、ここに柳美里という小説家の「JR上野駅公園口」という小説がある。

「昔は、家族が在った。家も在った。初めから段ボールやブルーシートの掘っ建て小屋で暮らしていた者なんていないし、成りたくてホームレスに成った者なんていない。こう成るにはこう成るだけの事情がある。サラ金の高利子の借金が膨らんで、夜逃げしたまま蒸発した者もいれば、金を盗んだり人を傷つけたりして刑務所にぶち込まれ、娑婆に出ても家族の許には帰れないという者もいる。会社をクビになって、女房に離婚されて子どもも家も取られて、捨て鉢になって酒や賭け事に溺れて一文無しになった者、転職を繰り返してハローワークに通い詰めても希望する職が見つからず、気落ちして脱け殻みたいになった四、五十代の背広を着たホームレスもいる。」

 

柳美里. JR上野駅公園口 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.923-930). Kindle . 

ここで描出されている世界は、すでに全ての事柄、全ての人間について、評価が下され、判断がなされ、固定されて、いわば「氷結」された世界の中で、あたえられた想定内の「役割」を表出する「記号」としての人間であり、そこには「存在」などというおこがましいものはない。

これに対して、昭和50年(1975)年において我々が、というか、アラーキーが認識把握し、言語化した世界とは、このようなものであった。

「あいかわらずのアルチュール・ランボーの私は、二日酔いとゲリバラで、地下鉄日比谷線六本木に着いた途端、もう我慢できなくなった、トイレを捜したのだが、見つからない。たいがいは、駅のトイレの位置はわかるのだが、六本木の駅のトイレはわからなかった。(中略)とにもかくにも、地下鉄日比谷線六本木に着いた途端、私は懸命になってトイレを捜したのだ。見つからないのだ。私も初老なのだろうか。勘が鈍っている。もー駅のトイレはあきらめた。そーっと階段をあがって地上に出た。すぐさま卑猥なピンクの『アマンド』にはいった。はいってすぐトイレに行くのは格好悪いので、まずいコーヒーを注文して、ワインの試し飲みの感じで一口飲むと、さも余裕ありげにトイレへと直行した。ああ!掃除中なのである。私は平然と肛門括約筋をしめて席にもどった・・・」

荒木経惟「写真への旅」所収「私はダイアン・アーバス」より引用。)

アラーキーの文章には、目の前にたちあらわれる「手付かず」の、「生まれたばかり」の現実というものにたいして、「カメラ」と「ライオン印の万年筆」だけで、まさに「徒手空拳」で立ち向かおうとするひとりの人間の姿が、間違いなく描きだされているのであって、それ(「私」が「徒手空拳」であること)はアラーキーの写真についても同じことがいえるように思う。六本木の駅を降りたときにゲリバラに襲われた人間の行動とは、まさに想定外の緊急事態宣言なのである・・・まあ、「アマンド」に入って、そこのトイレを使わせてもらうというのは、さほど独創的、とまではいえない、としてもである。そう思うのは、もしかして私だけなのかもしれないが、しかし、そう思う私が存在することだけは、これはもう誰にも疑うことができないのである。

ライカ共同幻想論〜日暮里、千駄木、そして千石

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Leica M5 + Elmarit 28mm (2nd.) + Kodak Ektachrome

令和3年7月某日。「日暮里駅」にて下車。カバンからライカM5を取り出した私は駐輪場の脇の休憩スペースにて28ミリのファインダーを取り付ける。このファインダープラスチック製なのだけど、足の部分が右側に少しオフセットされていて、ファインダーの本体部分を掴んでカメラにつけたり外したりしているうちにそのうち足の部分がとれるんではないかと思ってしまうが、そのあたり耐久性はどうなんでしょう。

「青い田の露をさかなやひとり酒」

小林一茶がこの句を詠んだという「本行寺」の前を通過。この辺りが武蔵野台地の東の端だった名残がある。「夕焼けだんだん」には向かわず、右に折れて諏訪台通りに入り、「諏方神社」にてぎょろりと目玉の大きな黒いこま犬を見つけて、激写。神社にお参りした後、富士見坂を降る。2000年ごろまでは、ここから富士山が見えていたが、本郷通り周辺のマンション建設でビルとビルの間にわずかに見えるか見えないかになっちゃった。これを土地の人は「すきま富士」とよんで愛でている、という解説が坂沿いに写真と共に掲示してある。f:id:Untitledtrueman:20210725114221j:plain

坂を降りきったところで商店街を抜けて、さらに住宅地に入っていく。不忍通りを渡って、また坂を上がる。ちょうど午後1時。暑い。何年か前、銀座のバーで「開店記念です」ということでもらったタオルで汗を拭く。千駄木の住宅地を抜けて、ひとまずの目的地である吉祥寺を目指すのだが、適当に路地を曲がっていくと行き止まり。引き返して、ここなら抜けられそうかな、と曲がっていくとまた行き止まり。

昔むかし、このあたり一帯は、上野寛永寺造営時に木材を切り出したという雑木林が広がっていたようであるが、その面影があるような、ないような、住宅地、学校、墓地、公園の中を歩いているうちに、「養源寺」門前に辿り着いた。このお寺、少し前にきたことがある。夏目漱石の「坊っちゃん」に出てくる主人公の家の奉公人「清(きよ)」のモデルになった漱石の友人の祖母の墓があるということで知られているんですが、前回きた時には墓地の中を探せど探せど「清(きよ)」の墓は見つからず、断念してしまったのだ。

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見つからないものを探すのは面倒だ、と思ったが、足の向くままに墓地に入る。なぜだか今回はあっさりと「清(きよ)」の墓が見つかる。「米山」姓なのだが、昔の書き方で左右逆に「山米」と書いてあるので、見つかりにくかったのだ。

一旦本郷通りに出て、脇道にそれると何やら年季の入った大きな塔のような建物(江戸時代に建てられた「経蔵」という建物です)のある脇っちょから「吉祥寺」の境内に入る。

雑誌「coyote」第6(2006年1月)号掲載の記事によれば、この辺りに吉本隆明の家があったはずだが、その中でホンマタカシ氏が撮影した大仏の写真をみつけ、「こんなところに大仏があったのか」と思って自分の目で見たくなった、というのが本日のとりあえずの目的。

 本堂にお参りし、山門に向かって歩いていくと、右手に大仏、というか、大きめの釈迦如来像である。ホンマタカシ氏の写真は冬で周りの樹木の葉が落ちていてすっきりと見えていたのだが、あれから15年が経過して大きくなった周りの木が盛夏でびっしりと葉を繁らせているので、だいぶ雰囲気が違う。ホンマタカシ氏と同じく横顔を撮りたかったのだけど、木が邪魔で真横からは撮影できないので、やむを得ず、右斜めから激写。ひとまず本日の目的は達したと、ふと振り返ると、三毛猫が地べたに張り付いていた。死んでるのかと思ったが、暑さでまいっているだけのようだ。本日は一本1700円のKodakの高級ポジフィルムを装填しているのですが、惜しげもなく10カットほど激写。

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上掲「coyote」のインタビューの中で「願いごとを一つあげるとすれば、何ですか」と訊かれて、足が不自由になっていた吉本氏が「毎日130メートルほど歩くようにしているが、なんとか400メートル歩けるようになって、富士神社にいって縁日の焼きそばを食べたい」と答えている。確かに縁日の焼きそばは、時々無性に食べたくなることがあります。そこで私も「富士神社」に向かう。富士神社は前回、巣鴨から歩いてきたときに偶然見つけていて知っていたのだ。途中、また猫を見つけた。今度は白と黒のブチの猫だ。そこへ本郷通りのほうからお母さんと一緒に5歳くらいの男の子が現れて、真っ直ぐ僕の方にやってきて「どこにいくの?」と問うので、僕は「決めてない」と答えた。

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富士神社から本郷通りに抜けるとすぐに「六義園」である。中には入らず、煉瓦塀に沿って早足に中山道に抜け、さらに千石の住宅地に入っていく。ほとんど店が残っていない商店街の名残のような通りがある。さらに西に向かって歩いて、下り坂を降りきったところあたりに昔は「谷端川」という川が流れていたようである。今は暗渠になっていて、影も形も窺うことはできない。そこからさらに丘を登っていって、雑司ヶ谷に抜けようと思っていたのだが、もう3時。足も痛くなってきたので、この辺りで切り上げることにする。大塚駅まで歩いて、早稲田の方からやってきた都電を撮ったところで、2本目のエクタクロームを撮り切った。

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 ライカM5はM型の中でも不人気な機種、ということになっていますが、ここのところこの機種もご多聞に洩れず価格高騰が進んでいるようです。これはいつ頃だったか、何かのはずみでM5愛が燃え上がり、当時日本橋にあった不二越カメラにて入手。しかし使ってみると、なんとなくもっさりした感じの操作感と、シャッターを切った時の音がちょっとキーンと金属音がするような気がしまして、「これは持病のシャッターブレーキが割れているせいではないか」と妄想した私は、川崎のカメラ修理業者さんに持ち込んで診てもらったところ「全て仕様です」ということでしたが「パララックス補正の動きが渋いのと、露出計がズレてますね。直しますか?」と言われ、この際、ということでオーバーホールしてもらったのでした。

ということで、手持ちのM型の中ではおそらく最も「完調」に近いはずなのがこのM5です。オーバーホールにM5一台分の費用がかかりましたが。。

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Leica M5 + Summicron 50mm + Kodak Tri-X @ Dublin

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Leica M5 + Summicron 50mm + Provia 100

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Leica M5 + Summicron 50mm + Provia 100 @ Dublin

とはいえ、他のM型と比べると、操作感にちょっと違和感があるというのが正直なところで、特にシャッターをかなり深く押し込まないとシャッターが切れない印象があります。シャッターを押し込んでいくと、先端に露出計の測光部をつけた腕木が格納されるのに従って、ファインダーの下端部に表示される露出計の針がビヨヨーンという感じで左端に戻っていくのが「もっさり感」を増幅させているのかもしれません。ということで、かなり大きめのソフトレリーズボタンをつけています。

あと、やっぱりデカいですね。手に持つにしても、ストラップで首から下げるにしても、存在感ありまくりです。Summicronのような小ぶりのレンズをつけていると少々バランスも悪いような気もしますし・・・でもこの「存在感」がある意味よいのかもしれません。今回久しぶりに東京に持ち込んで使って見ましたが、「撮ったったで」感というのでしょうか。そういう満足感を与えてくれるような気もするわけです。

ということで、少々尻切れトンボになってしまっておりますが、気が向いたらまた別の機会にもう少しM5のことを書いてみようかと思います。