「・・・根源をもたぬ繰り返し、原因のない出来事、人間のいない記憶・・・」
外付けファインダーと「抑圧移譲の原理」
ライカの28mmの外付けビューファインダーが欲しい。欲しいが、売っていない。売っていてもとても高い(程度のいいものは7万円!)。誰が買うのか?宇宙人?普通の地球人向けのお値段のもの(3万円台)を見つけて覗いてみたら、曇ってるっていうか、ゴミだらけで前がよく見えない。。この状態のお品に値段がつくことが驚きですが、古来、物の値段は物自体の絶対的価値ではなく、需要と供給の相関関係によって決まるのである。
「ところでここに一つの問題がある。筆者はかつて日本の社会体制に内在する精神構造の一つとして「抑圧委譲の原理」ということを指摘した。それは日常生活における上位者からの抑圧を下位者に順次委譲して行くことによって全体の精神的なバランスが保持されているような体系を意味する。この原理は一体、上にのべたような日本ファシズムの体制の「下剋上」的現象とどう関連するのだろうか。両者は矛盾するのだろうか。そうではない。「下剋上」は抑圧委譲の楯の半面であり、抑圧委譲の病理現象である。下剋上とは畢竟匿名の無責任な力の非合理的爆発であり、それは下からの力が公然と組織化されない社会においてのみ起る。それはいわば倒錯的なデモクラシーである。本当にデモクラチックな権力は公然と制度的に下から選出されているというプライドを持ちうる限りにおいて、かえって強力な政治的指導性を発揮する。これに対してもっぱら上からの権威によって統治されている社会は統治者が矮小化した場合には、むしろ兢々として部下の、あるいはその他被治層の動向に神経をつかい、下位者のうちの無法者あるいは無責任な街頭人の意向に実質的にひきずられる結果となるのである。」
丸山 眞男,古矢 旬. 超国家主義の論理と心理 他八篇 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2222-2235). Kindle 版.
フィルム製造継続の雲ゆき
冬のパリは、日が短かったな〜。年末からお正月にかけて4日ほどの滞在でしたが、来る日来る日も曇天のくら〜い日々でした。
春か、夏にまた行きたいな。
ところで、先日、アマゾンで富士フィルムのProviaを5本買おうと思ったら、「この商品は数量制限がございます」って表示されて、なんと1本づつしか買えない!どうしてだろう?
フィルム一個のために配達の人に動いてもらうのも申し訳ないので、仕方ないので、少々割高だな〜と思いながらもコダックのEctachromeを5本お願いしたんだけど、こちらは賞味期限?が2021年5月。
秋の間に使い切ると思うので、いいんだけど、スライドフィルムが手に入らない!ってことになったらどうしようと、夜も眠れないのです。
Ectachromeが復活して、Acros100も復活して、フィルムユーザーには束の間の春がおとづれたかという気がしておりましたが、またフィルムの存亡、雲行きが怪しくなってきたかな。
カラーネガもいいんだけど、肉眼でフィルム上の画像を見ることができるスライドフィルムの面白さは、やはり他で代えられるものではないので、なんとか生産を続けて欲しいな。。
中古カメラ市場はまた少し活況を取り戻しているようで、横浜More'sのキタムラでもフィルムカメラがきれいに展示してあったけど、もしかすると在庫の中古商品を売り切ろうとする業界の最後の悪あがき?などと勘ぐってしまう。
フィルムの製造継続いかん、それだけが私の目下のお悩みであります。能天気なことに。。
「ライカ同盟」
近所の古本屋で、尾辻克彦の「ライカ同盟」(1994年9月1日発行)を見つけた。だいぶ痛んでいたし、折込や書き込みの多い本だったけど500円だったので買ってしまった。
この本屋では、中平卓馬・篠山紀信の「決闘写真論」(1977年9月20日)も見つけてしまい、こちらも日焼け、傷みのあるものだったが、購入してしまった。
そういえば、岩波書店より1999年に発刊された「日本の写真家36 中平卓馬」も買ってしまったのだ。
このお店、もう私も狙い撃ちにした品揃えをしているとしか思えないけど、ウィリアム・クラインの「NEW YORK」は躊躇しているうちに、誰かに持っていかれてしまった・・これも傷みがひどかったのだけど、今考えてみると、15,000円なら破格だったかな。
彼女はサニー・シックスティーン
前回とはうって変わって、これはF16まで絞ってたかな。これだけお天気がいいと、絞り込むしかないですよね。
しかしこのM2、巻き上げがいまいち不安定で、28ミリのレンズを使っていると、時々コマがくっついちゃう時があるんだけど、普通に一回でスルッと巻き上げできたときの感触と、シャッターを押した感じが、絶品なのです。莫迦な私は、何台かM型持っているけど、この感触は他の個体にはないな〜。ものすごく、滑らか。こういうのって、「シルキー」っていうの?なんだかトイレットペーパーの感触みたいでしっくりこないけど、とにかく、この感覚を試したいばっかりに巻き上げてシャッター押してると言っても過言ではない。
しかもこの感覚って、フィルムがはいってないと、感じられないような気がする・・・ということで、今夜も無駄にフィルムを消費しているのでした。
やっぱり、M2いいね。昨日はM3、今日M4ー2を改めて使ってみたけど、「ライカ感」が一番感じられるのは、この100万番台のM2ですね。
この巻き上げの不安定ささえ、なんとかなればなー。
F4.0
夏の夕方、近所を散歩していて見かけた百日紅の花を撮影。ライカのレンズはF4.0が一番きれいに写る、とどこかで読んだことを思い出して、シャッター速度を上げて、F4.0で撮ったと思います。もしかしたらF2.8だったかも。
そしたら、本当にライカで撮ったような写真が出来上がりました。
この間一日中ライカを持ち歩いてスナップして歩いていたら、とっても疲れてしまった。いいカメラだと思うけど、なんか「吸い取られる」ような気がするな。。OM1とかペンタックスSLでは感じない、この気疲れというか。。やはり根が貧乏性だからですかね〜。お高いカメラを抱えていると知らないうちに肩に力が入るのかな。
いろいろネットサーフィンしていたら、ボロッボロのM4-Pを使って、すごく素敵な写真を撮っている人がいるのを見つけた。
結局、カメラじゃないんだよな。。まだまだ修行はこれからです。
Leica Syndrome
しばらく一眼レフを使っていると、定期的にレンジファインダーに戻ってくる。ということで、私、今、Leicaもーどです。
ライカライカと巷では言われているけど、先日近所の本屋さんで見つけた雑誌「Pen」でライカ特集がされていたので、思わず買ってしまったんですが、その中身のほとんどが、前に買った雑誌とおんなじだった・・・。
そういうことが許されてしまうのも、天下の「ライカ」ならでは、なのでしょうか。
さて、こちらのライカM2。一月まえに、自粛疲れの反動で、思わず買ってしまったのですが、バックドアもペコペコしないし、巻き上げやシャッターを押した感じもさすが1960年代のライツ!ということで、とても気に入っています。。。と言いたいところですが、画龍天青を欠く、というのでしょうか、お店でからシャッターを切った時には気がつかなかったんだけど、フィルムを装填して巻き上げると5回〜10回に一度程度、若干ラチェットが滑る時があるのが、厳しいところ。
製造されてから60年、いろいろなユーザーにいろいろな使い方をされてきたのでしょうから、完璧な個体を期待する方がお門違いというもの、とは分かってはいるのですが、いやーなかなか、「ライカ道」は厳しいものですね。
修理の人に見てもらったら「ライカは3000台くらいみてきましたが、この症状は初めてみたな〜」と言われてしまった。。Rollei 35でも似たようなことを言われたことがありますが、ある意味、レアモノを引き当てる才能があるのかな、私?
それはさておき、M2って、「廉価版」というような印象があって、なんとなく敬遠していた私ですが(その割にはM4ー2を買ったりもしているのですが)、どうもいちばん相性があってる感じがするのは、M2だったのかな、っていう気がしています。特に巻き上げるときの柔らかい感じは、M6とは違う優しい操作感ですね。M3もそういう感じがあるけど。
と、考えだすと、より程度のいいM2を探して、さらなるお布施と散財の泥沼に入っていきそうなのですが、ひとまず今回お迎えしたM2とうまく付き合っていきつつ、焦らずに良い個体を探して行こうかな、なんて、思っている自分が怖いのです。