「♪戦争がおわって〜僕ら〜は生まれた〜」っていう歌が昔ありましたが(あったのだ)、小学校6年生の時の僕の先生が副業が神主さんで、授業が脱線すると、よく戦争の話を聞かされました。なんでアメリカみたいに大きくて強い国と戦争しちゃったんだろうな〜と子供心に不思議に思い、その不思議を抱えたまま、大人になって幾星霜、50代も半ばを迎えてようやく朧げながらその理由が分かりかけてきたような気がする今日この頃です。
「ここで五・一五事件裁判のポイントをまとめておこう。第一に、普通選挙決定(一九二五年)、実施(一九二八年)によりポピュリズム化が開始されたのだが、このころになると、政党の勝利で官僚に対する「政治優位」が確立したことが「政党専横」と見られ、批判の対象となっていたことがわかる。そして、それが官僚的なもの(軍人)の復権志向となり、それとマスメディアとの結合傾向が見られはじめたのである。」
筒井清忠. 戦前日本のポピュリズム 日米戦争への道 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2214-2218). Kindle 版.
「軍艦はただの船ではありません。同じ船でもタンカーや貨物船などとはまるで違います。軍艦は戦争に使うためにつくられた船です。戦争というのはいくらりっぱな口実をつけても、けっきょく人間と人間のむだな殺しあいですが、軍艦はその人殺しの兵器を積んだ船です。そして戦争になればその兵器で相手の人間を殺すのです。それが軍艦の目的です。このことは旧海軍の軍艦だけではありません。いま自衛艦とかいうまぎらわしい名まえで呼ばれている『軍艦』についても、まったくおなじことがいえます。軍艦をみて勇ましい、プラモデルはカッコいいと思うまえに、まずそのことをよく考えてください。」(渡辺清「戦艦武蔵のさいご」童心社「あとがき」より)
1970年代の学校教育では歴史の授業は明治維新で終わりになっていたので、明治の時代から今日までずっと今のような世の中だったのだろうな、という印象を持ち続けていたのですけど、ようやくそうではなさそうだと気がつくのにこれだけ時間がかかってしまうとは自らの不勉強に赤面の日々であります。最近の中学校(というか、中学生向けの受験予備校)では、ちゃんと普通選挙制度の導入と治安維持法の制定がおなじ年に行われたことが「あめとむち」という整理ではありながらも教えられているようです。
ところで今読み進めているこの本を読んでいて、夏目漱石の「坊っちゃん」の中でポピュリズム化に対する痛烈な批判というか、皮肉が描写されていることを初めて知りました。いやなるほどそういうことだったか。本って読んでいくと本当に面白いですねえ。
「これでも元は旗本だ。旗本の元は清和源氏で、多田の満仲の後裔だ。こんな土百姓とは生まれからして違うんだ。ただ智慧のない所が惜しいだけだ。どうしていいのか分らないのが困るだけだ。困ったって負けるものか。正直だから、どうしていいか分らないんだ。世の中に正直が勝たないで、他に勝つものがあるか、考えて見ろ。今夜中に勝てなければ、あした勝つ。あした勝てなければ、あさって勝つ。あさって勝てなければ、下宿から弁当を取り寄せて勝つまでここにいる。」(夏目漱石「坊っちゃん」岩波文庫 44頁)
しかし、漱石って、いやよくこう小気味よくペラペラと書いたもんだな、って本当に感心しちゃいます。