しまりす写真館の現像室から

カラーネガフィルムでユルめに写真を撮っています

これからお電話していいですかとメールしてみる冬のゆふぐれ

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Leica M4-2 + Summicron 35mm + Fujicolor Superia Premium

「信じて欲しい。私は常軌を逸しているのではない。私は、脱中心的な存在(ex-centric)であるに過ぎないのである。」

昨日初めて「世界カメラ市」なるものに足を踏み入れてみた。意外と綺麗なライカたちが、意外に手頃な価格で並べられていたのであった。。M3, M2, M4あたりでも20万円は超えない程度のお値段で。。見せてもらうと、買っちゃいそうなので、ここはグッと堪えたが。。もうすでに色々持ってるし、新しく買う必要はないのだ。

しかしここまで考えて私は気づいてしまった。世界は全て「記号」でできているのであり、そこには「価値」というものはなく、あるのは「差異」だけなのである。従って、私たちがしているのは「消費」ではなく「交換」なのである。

そう、私は気がついてしまった。人間は「交換」する動物なのだということを!

従いまして、私が持っているカメラたちも、本質的になぜそこにあるかというと、それらは「交換」の結果としてそこにあるのであったのであり、それらは別の何かと「交換」するためにあるのであったのであった・・・これって・・・なんだっけ・・・似たような話があったような気が・・・レヴィ・ストロースか?・・・いや、あれだ・・・!「わらしべ長者」だ!

そうなのだ。我々日本人は、モースが「贈与論」を書くよりも先に、気がついていたのだ、人間は交換する動物だというこの「真理」を!いや、「真理」というものもないのだ。。あるのは「交換」される「物語」だけなのだ。。そしてそれは「価値」があるから「交換」されるのではない、「交換」されるから「価値」があるのだ・・ということは、ライカに価値があるのではない、ライカが交換されるからあんなに高いのである、そして交換されればされるほど、交換したい人が増えれば増えるほど、ますます高くなるのだ!!実際、一時期10万カメラ円も出せばそこそこ調子の良いM3が買えたはずだが、今時まともなものを買おうとすれば、20万カメラ円は出さないとならなくなっているではないか!ということは、みんながライカを交換するのをやめれば・・・きっとまた、安くなる、はず。

その時を待とう。

それはさておき、「エキセントリック」って、日本語では「異常」「変なやつ(もの)」っていう意味だと思いますが、なるほど、「ex-centric」だから、「脱中心的」と解すれば良いのね。中心にあるものや中心にいる人が必ずしも「正常」とは限らないから、そうだとすると、「脱中心的」=「異常」という理解には、本質的な誤謬があるのであった。「エキセントリック」とは「脱中心的」なのであって、「脱中心的」であるからといって、異常であると断定することはできない。「エキセントリック」とは「脱中心的」なのであって、それ以上でもそれ以下でもないのだ。

ということに、ようやく気がついたのであった。

そうそう、カメラは買わなかったけど、ずっと欲しかった28mmのファインダー買っちゃった。プラスチック製だけど、金属製は高いので、手が出ません。昨日はM2に28ミリをつけて散歩したけど、28ミリだとなんでも面白そうに見えるので、やたらシャッターを押せますね。