「その夜お雪さんは急に歯が痛くなって、今しがた窓際から引込んで寝たばかりのところだと言いながら蚊帳から這い出したが、座る場処がないので、わたしと並んで上框へ腰掛けた。
『いつもより晩いじゃないのさ。あんまり、待たせるもんじゃないよ。』
(引用中略)
『それはすまなかった。虫歯か。』
『急に痛くなったの。目がまわりそうだったわ。腫れてるだろう。』と横顔を見せ、『あなた。留守番していてくださいな。わたし今の中歯医者に行って来るから。』
『この近処か。』
『検査場のすぐ手前よ。』
『それじゃ公設市場の方だろう。』
何年か前に本屋でふと目に止まって買って帰り、最初の数頁を読んで投げ出していた永井荷風の薄い文庫本。またふと目に止まって通して読んでみました。
なかなか面白い。
というか、この本を買った当時は荒川区、墨田区、足立区あたりの地理がわかっていなくて、いったい何が主題になっているのかがそもそも理解できなかったのですが、ここ2年ほど、カメラ片手に東京23区を歩き回り、墨田区から葛飾区のあたりもひと通り歩いてまわったことの見返りというか、結果として、この短い小説の骨子としているところが、理解できるようになったというわけです。
そもそも、「濹東綺譚」の「濹東」って、「隅田川の東側」っていう意味だったんですね、っていうところに気がついていなかったのですから、この物語の筋だけ理解しても、あまり意味がなかったということであったかと思います。
いや、やはりじぶんの足で歩いてみるものですね、何ごとも。
墨東の一角にて。窓辺で客待ち顔(?)のお雪さんかと思いました。
『あなた。方々歩くと見えて、よく知ってるんだねえ。浮気者。』
『痛い。そう邪険にするもんじゃない。出世前の身体だよ。』」
このアサヒペンタックスSL、近所の写真屋さんのガラス棚に飾ってあったのを、確か3千円ほどで譲っていただいたもの。ちょっとファインダーが暗すぎて、光量が少ない状態で私の老眼でピントを合わせるのは厳しいけど、広角レンズで絞り込んで距離指標を頼りに撮るぶんにはご覧の通りでよく写るんですよね。ただ、どうも機関は油切れっぽくて、しばらく使わずにいると、巻き上げレバーがキーキーいいだすので、そのうち修理屋さんでグリスアップしてもらおうと思っています。