しまりす写真館の現像室から

カラーネガフィルムでユルめに写真を撮っています

Ricoh GR3x: 台東区あたり

Ueno, Tokyo

ここのところ、フィルムの現像代などに散財してしまっているので、今日はお小遣い節約のため、GR3xを持ち出しました。

Ueno, Tokyo

オートフォーカス、プログラムオートで撮っていると、本当になにも考えることがなくて、楽である。ちょっと楽すぎるかもしれない。

Negishi, Taito-ku

東京も、昔ながらのMama & Pop Shopはどんどん姿を消しつつあるようで、寂しいかぎりである。

下のお店はいつ頃閉店してしまったのかな。親子丼の値段(650円)からすると、平成になってしばらくは営業されていたのかな。

Nippori, Arakawa-ku

 

Fujifilm X-T4:師匠と弟子の問答から学んだこと。

Fujifilm X-T4 + XF90mmF2.0 + Classic Chrome

「・・・しかし、僕がなにを言っているのか、君にもっと明瞭に話してあげよう。君はまだよく理解していない、と思われるから」

すると、ケベスは言いました。「ええ、ゼウスにかけて、あまりよく解りません。」

岩波文庫パイドンプラトン著より)

わからないときは、わからないと言ったほうがよい。そうなのだ。しかし「神様にかけてよくわからない」と言うのは、このケベスという若者、相当誠実な青年とみた。

とはいえ、「わからない」ことを「わからないとわかる」ことは、実はかなり難しいことなのではないか、と思う。

ソクラテスが毒杯をあおってその「魂」がハデスの国へと旅立ってから、2000年、私も含めて、解らないことをわかったような気になって、あるいはわかったふりをして、もしくは、わかったものと仮定して、あるいは無理矢理に解って・・・そう、私たちは解らなくても「わかる」ことができるのだ。例えば、青いブルーシートと段ボールから、帰る家のない人であると言うことをわかり、借金を返せなくなって破綻した人、と言うことがわかり、望んでそんな暮らしに落ちていったわけではない、と言うことがわかり、そのきっかけはほんの些細なことなのであった、と言うことがわかり、寛容性のない社会が孕む問題だということがわかり、人々の「心の闇」がわかり・・・つまり、「連想」ゲームで思いつくこと、それが真実に他ならないと、私たちは信じてしまう。上野発の夜行列車、といえば、終着駅は青森であり、北に向かう人の群れ、といえば、誰もが無口であり、海鳴りだけを聴いている他ないわけであり、私はひとりであり、そして夜行列車を降りたならば、当然に連絡船に乗るわけであって、凍えそうなカモメ見つめ、泣いてしまうのである。そう、上野発の夜行列車という「きっかけ」を与えられれた私たちのぼんやりとした頭脳は「思・考」というものを全く介することなく、動物的な「連想」、ただそれのみによって、オートマティックに、「真実」を見出してしまうのである。野党が発言すれば、それは「反発」であり、北朝鮮から飛翔体が発出されれば、それは「国難」であり、日中の公園でカメラを持ってウロウロしている中年の男がいれば、それは「不審者」に他ならないのであって、そのような決定に、特段の根拠は必要ないのである。必要なのは「連想」それで十分だ、ということで、日々をやり過ごしている、という事情にあるということは、実は少なくないのではないか。

解らないものを、解らないものとして皆の目の前に差し出すこと。「ゼウスにかけて」よく解りません、と認めること。そこから何かが始まるのではないだろうか、という気がしている。

言ってる本人も、実はあまりよく解らない、のだけど。



 

Fujifilm X-T4: 奥渋逍遙

「それゆえ哲学は『どんなものが存在するか』に関しては確信の度合いを減らしてしまうが、『どんなものが存在しうるか』に関する知識を著しく増大させる。開放的な懐疑の国に旅したことがない人から尊大な独善性を取り除き、見慣れたものにも見慣れない側面があることを示すことで、私たちの脅威の念を生き生きと保つのである。」

バートランド・ラッセル「哲学入門」ちくま学芸文庫「第15章 哲学の価値」より)

Fujifilm X-T4 + XF33mmF1.4

渋谷の奥、すなわち「奥渋」にて。カツ丼並が1000円、上は1500円である。足立区、葛飾区方面と比較すると、値段設定が少々強気だ。ダイヤモンドが嵌め込んであるのか、招き猫の目がキラーン、と輝く。この辺りは高級住宅地なのであろうか。きっとそうに違いない。「勝ち組」の人たちが住んでいるエリアなのであろうか。道行く人々の服装も垢抜けているようだし、若い人もやたらと大声で騒いだりはしていないし、なんだか皆さん知的な雰囲気を放っているのは東大駒場が近いからなのか。何やら小洒落たお店がたくさんあって、アートな本を色々集めているゲージュツ的な感じの本屋さんなどがあったので、ふらりと立ち寄った私は田中小実昌の「ほろよい味の旅」という文庫本を一冊、買ったのである。

Fujifilm X-T4 + XF33mmF1.4

「あなたも」なんだろう。「あなたも、歌えます」か?そう思って看板の裏に隠れている部分を覗いてみたら、下の句はこうあった。

「あなたも、覗くだけ?」

・・・謎である。何の店なのか。ジャズ喫茶ではないのか。

Fujifilm X-T4 + XF33mmF1.4

「哲学的観想がその見渡す範囲を最大限に広げるとき、宇宙は敵対する二つの陣営---敵と味方、授けてくれる者と邪魔をする者、良い者と悪いもの---に分けられることなく、全体が公平に見渡される。」

バートランド・ラッセル「哲学入門」ちくま学芸文庫「第15章 哲学の価値」より)

このX-T4も発売から2年半でカタログ落ちしてしまったのか、量販店でも見かけなくなってしまった。先に発売されたX -Pro3はよく店頭で見かけるのだけど・・・不人気なのか?

X-Tシリーズは長男、次男、三男坊と、「勤勉で実直なだけが取り柄の男ですから、じぶん」っていうか、「見た目」が実用的すぎていま一つ好きになれなかったので、お金出して買おうと思うに至らなかったのですけど、この四男坊は、もう少し都会的というか、頭の部分がちょっと平たく、低めに身構えているように見えるのが気に入って、購入に至りました。X -Proシリーズのような”sex appeal”はないカメラだけど、使いやすい。絞りとシャッタースピードが物理的に把握できる点が、マニュアルのフィルムカメラやライカから持ちかえたときに戸惑わなくてすむ。特に良いのが、静かで上品なシャッター音だ。X -ProシリーズやX100にはない高級感を感じさせてくれるのだ。大きさと重さのバランスもいい。色気はないが、とうぶん私はこのX-T4を使っていくことになると思う。使いやすい、良いカメラである。

このカメラで、「見慣れたもの」の「見慣れない側面」を切り取ることができれば・・・・と言うことで、XF90ミリF2.0を入手してしまった私、まだ持ち出してシェイクダウンはこれからです。

Leica M4-2: Ginza, 銀座

Leica M4-2 + Summicron 50mm + Tri-X

久しぶりにM4-2にTri-Xを装填して、夜の銀座に繰り出したわけです。Tri-Xって、暗いところでも、よく写るのね。もう2,000円くらいするようになってしまったけど、更なるインフレに備え、10本ほど買い増ししておきました。

Ginza, Tokyo

Paris, France

パリはパリ。東京は東京のロマンチシズムが、あるような気がします。

Ginza, Tokyo

Ginza, Tokyo

Ginza, Tokyo

Ginza, Tokyo

もう型落ちになって随分経つけれど、オリンパスのE-Pシリーズが好きです。防湿庫を整理していたら、純正のOMアダプターが出てきたので、今日はデジタルPENにOM Zuikoをつけて、遊んでみました。21ミリをマイクロフォーサーズにつけると、35ミリ換算では42ミリ相当になって、最近流行りの画角になるのです。

Olympus E-P1 + OM Adaotor + OM Zuiko 21mmF3.5

Olympus E-P5 + OM Adaptor + OM Zuiko 21mmF3.5

Olympus E-3 + Zuiko Digital Zoom 12-60mm

久々にE-3に通電してみましたが、これ、よく写るんですよね。今となっては信じられないほど大きくて重いのが欠点ですが、このカメラを使い込めば、いい写真がたくさん撮れるんじゃないかっていう予感がします。あくまでも、予感、ですけど。

Olympus E-P5: "Theme for Ernie"

Olympus E-P5 + M.Zuiko 14-42mm EZ

 

1ドル=150えん!

やったぜ平成バブルの再来だ、なんとなく嬉しくなってくるっていったら、円安で苦しんでいる方達に申し訳ないのですが、でも為替レートって変動するので、来年の春頃にはどうなっているかわからない。不肖徒に馬齢を重ねた身としては、為替レートぐらいコロコロ変わるものはないと思う。1ドル360円の時もあったし、社会人になった頃は160円くらいだったような気がするし、たまたま仕事で西海岸に滞在していた時期は、1ドル80円をきって、なんでも安い安い。当時日本でCDアルバム一枚が1,800円ぐらいしたと思うんだけど、CDいちまい7ドルぐらいで売っているので、え、これ500円!?やっす、っていうことで、学生時代に「友&愛」(懐かし・・)で借りたレコードをダビングしたテープで聞いてたDavid Bowie、「ハンキー・ドリー」から「トゥナイト」まで大人買いしてしまいました。

今夜聴いているCDはコルトレーンの「ソウルトレーン」。バルセロナのバージンレコードで、確か1995年に買ったものです。値札シールにpts.1.750ってあるので、1,750ペセタだったってことですが、当時の感覚で1ペセタ=1円ぐらいなので、当時は、概ねスペインと日本とで、物価の感覚は似たり寄ったりだった、ということになります。ただ、食品(特にお酒!)は、スペインは安かったな〜。缶ビール一本100ペセタしなかったように記憶。もっとも、味は甘ったるくて、日本人が重視する「喉ごし」も「キレ」も、「何それ?」って感じの味でしたが。

その後、2002年にユーロが導入されて、当時1ユーロが166.386ペセタで換金された。カフェでエスプレッソ(スペインでは、「cafe solo」)を頼むと100ペセタすることはなかったと思うんですが(記憶が正しければ75ペセタくらいだったような気がする)、ユーロになって現地に戻ってみると、結局「ワンコインの経済学」っていうやつなんでしょうか、コーヒー一杯が1ユーロ(つまり166ペセタ)になってました。

ネットで調べてみると、今(2022年)、カプチーノ(って、カフェオレ(Cafe con Leche)のことかな)が一杯1.7ユーロ(250円弱?)・・・日本に比べるとまだ安いと思うけど、ユーロ前の値段を考えると3倍?

コーヒーはスペイン人の血のようなものだと思いますが、日本人にとっての血といえば、やはり牛丼でしょう(?)。ということで、吉野家の牛丼の値段を調べてみると1985年が370円、2017年が380円だったようです。2022年時点では、430円になってるみたいです。2001年にはデフレで牛丼が一杯250円っていう時期もあったみたい(2001年)。

お金の価値や物の値段って、時代や地域によってコロコロ変わるんだなって、如実に感じます。でも、このCDに記録されている1958年2月7日に録音されたコルトレーンの演奏は、CD買ってから四半世紀(なんと・・・)経っても、まったく変わらない。とくに、4曲目の「Theme for Ernie」が、いいな。

こうして背中合わせにくっつけてみるとオリンパスOMって、サイズ感がM型ライカとほとんど変わらないんだな。なんとなく感動。「誰がなんと言おうと、俺はこの大きさで!」って、決めてたんだろうな、米谷さん。

Theme for Ernie

Theme for Ernie

  • J. Coltrane
  • ジャズ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

 

復活!ライカM6

「そして、全体的に言って、およそ生成するすべてのものについて、すべてはこのように生成するのかどうかを見てみようではないか。すなわち、何か反対のものがある限りにおいては ー 例えば美が醜に反対であり、正が不正に反対であり、その他無数の者がそのような関係にあるのが ー そういうものにおいては、その一方は反対である他方からしか生じえないのだ、ということを。」

(「パイドン 魂の不死について」岩波文庫 プラトン著 岩田康夫訳)

Olympus OM-4 Ti + OM Zuiko 35mmF2.0 + Fujicolor100

いつもの通勤電車の中、寝ぼけ眼でネットサーフィンしていて、思わず「えっ!?」と声をあげてしまった「ライカM6」の復活。まさかM6のプロモーションビデオが制作されるなんて、思ってもみなかった。

自分が持ってる中古カメラのプロモーションビデオを作ってくれると、なんだかおトク感がある。10万円台半ばで買ったカメラが、な、なな、ななじゅうまんえん(以上です・・)で売り出されると、なんだか自分の持ってる中古カメラにに多額の「含み益」が出て、税務署に課税されることになりはしないか。要注意だ。

iPhone 11 Pro

さて、本日は先週末に衝動買いしてしまったOM-4のシェイクダウンオリンパスOM-2SPは、カメラにどっか穴でも開いてんじゃないか?と思ってしまうくらい、電池が減る!のだけど、OM-4の後期型はこの点は対処されているようである。カメラの中でミラーやシャッター幕がバラバラになったんじゃないか?という気すらするOM-2SPのシャッター音も、OM-4Tiではだいぶまとまりのある音になっている。といっても、OM-1やOM-2とは違い、クシャアン、カシャアン、という一種多重的な音質であるので、好みが合わない人もいるかもしれない。

OM-4Tiといえばマルチスポット測光!なのだけど、これって要は今のAEロック、みたなものでしょうか。明るいところと、暗いところを2箇所測光すると、その中間の露出に合わせる、という、ややこしそうでいて、実はシンプルな仕組みのような気もするのだけど、露出補正ダイヤルが左側にあって、ファインダを覗きながらの操作が難しいので、想像以上にこのスポット測光ボタンを多用することになる。上に貼り付けた猫たちの写真は窓の外と部屋の中で輝度差が激しい状況・・・OM-4のマルチスポット測光の出番!ということで、屋内の猫ちゃんと、お外を2箇所スポット測光してシャッターを切ってみたのだけど、下の画像についてはなんとなく確かに、部屋の中が潰れることもなく、屋外が飛ぶこともなく、塩梅の良い露出で撮れているような、気が、する。

もっとも、最高速の2000分の1秒を切ってみると、画面左側が露出不足となっており、どうも幕が完全に開いていないような気がする。まあ、横走りの布幕で2000はキツいわな。。。ライカでも500分の1秒までしか使わないので、OM-4も基本、500分の1秒までのカメラということにすれば、問題ないか・・・。

「One Camera, One Lens Operation」っていうのにすごく憧れているのだけど、そんな思いとは裏腹に、機材は増えていくばかりである。この「道」が正しくはないということはようくわかってはいるのだけど、真っ当な人生航路に戻るまで、まだだいぶかかりそうである。ライカM4-2も手放す決意がほぼできていたのだけど、再生したライカM6のプロモビデオを見て「黒皮病」を発症しそうになった私は、将来「黒皮病」が顕在化した時のワクチンとして、手持ちの中では唯一の「黒皮」モデルであるこのM4-2、やはりずっと手元に置いておくことにしたのである。

Olympus OM-2n:OM、再来。

「それは、どちらでもよいだろう。しかし、先ず、われわれはある出来事に襲われないように気をつけよう」とあの方は言われました。

「どんな出来事でしょうか」と私は訊ねました。

「言論嫌いにならないようにしよう、ということだ。ちょうど、ある人々が人間嫌いになるように。というのは、言論を嫌うよりもより大きな災いが人を蒙ることはありえないからである」

(「パイドン 魂の不死について」プラトン岩波文庫 岩田靖夫訳)

Olympus OM-2n + Zuiko 35mmF2.0 + Fujicolor 100

土曜日の朝。いつになく早く目覚めて、布団の中で、スマホでネットサーフィンをはじめる。写真雑誌「日本カメラ」が廃刊になってしばらく経つが、同誌の編集者たちが立ち上げたウェブサイトを見ているうちに、ジョン・サイパル氏の「Tokyo Camera Style」に掲載されていた溝口良夫氏の35mmF2.0のズイコーレンズをつけた使い込まれたオリンパスOM-4に目が留まる。

その瞬間、久々の「OMモード」が戻ってまいりましたのです。

フィルムのOMシリーズはOM-1を初め何台かを持っているのですが、ここ2年ほどシャッターを切ることも無くなっていたので、まとめて手放そうかな、と思っていたのだけど、よかった、売らずにいて。

オリンパスってもうすぐ「OM SYSTEM」にブランド変更するのかな。デジタルのOM-1は好評のようだけど、今度OM-5が出るという噂があるみたいだ。今度こそ、おでこの「OLYMPUS」の文字が消えてしまうのだろうか。

個人的にはマイクロフォーサーズは、Pen E-P5を持っていて、これよりもアップデートする予定はないのであるけど、なんとなく、オリンパスのゆく末が気になる。

コルトレーンのような激アツ系ばかり聴いていると、ときどき、ビル・エバンスでほっこりしたくなります。

それと同じように、ライカや、フジフィルムのミラーレスデジタル一眼でギチギチっと、写真を撮っていると、ふとオリンパスOMのフィルムカメラに戻ってきたくなってしまうときがあります。OM-2SPの「くしゃあん」、としたシャッター音が聞きたくなって、寝室の棚の上で埃をかぶっていたカメラの電池を入れ替えて、いつものようにうちの猫を撮ってみます。

今回アップロードしたのは、東京上野方面の某中古カメラ店にて、たしか20,000円弱?で購入したOM-2nで撮影したものですが、依然としてこのOM-2、まったく普通に稼働してくれています。電子式カメラはいつ壊れるかわからないから・・・と敬遠していたのですが、いざ買ってみると、製造から40年?以上立っていても、意外と結構いけますし、やっぱり自動露出は気楽です。

そして、今、私の目の前には、あの、憧れのOM-4、黒のチタンモデルが・・・。