僕の好きな写真集のこと。
まず、牛腸茂雄の「Self & Others」。今はなき、六本木の青山ブックセンターで買った、初めての写真集である。
次に、荒木経惟の「東京は、秋」。一つひとつの写真についての、愛妻・陽子さんとのやりとりが、楽しい。Amazonで入手可能なのは月曜社のこちらの本。僕が持っているのは横長の、1992年初版発行の、筑摩書房の第六刷(2004年)です。
そして、3点目が難しいのだけど、やはり中平卓馬。ここでは「Documentary」を挙げるけれど、「Adeu a X」でも、他の写真集でも、中平卓馬の写真集であれば、どれでも上位3点から外すことはできない。
こうしてみると、写真集っておもしろいよね。小説は何度も読み返すということはあまりないけど、写真集は何度も見なおす、というか、何度も目を通すよね。全部読み通す、というか見通すのもそんなに時間はかからないし。そういう意味では詩集とも違うのかな。パラパラパラ、さーっと目を通すのだけど、何らかの「読後感」のようなものは残るよね。でもそれを説明するのは難しいというか、できないんだよね。
写真集、というか、写真って一つのクエスチョンマークなんじゃないかって思うんだよね。
そういう意味では、牛腸は「自分って何?」っていう問いだと感じる。
アラーキーは、「東京って、ナニ?」っていってるように思う。
中平卓馬は、岡本太郎の「タローマン」じゃないけど、一つ一つの被写体について、「これは、何だ?」っていってる感じだよね。
言葉にできないものを表現することができる唯一のメディアなのかもしれないね、写真って。言葉にできないから、どんな言葉にしても当たらないっていうか、全てが不正解で、全てが正解かもしれないんだど。
「私、自ら望み続けている、より良い作品が、具体化されることを願いつつ、ほぼ毎日、大雨さえ降らねば、横浜、川崎市内、一帯に、また、ときには、東京まで、自転車で撮影に出発し続けています。」
(中平卓馬「Adieu a X」河出書房新社 1989年3月30日発行より、引用)
そうなんだよね。僕ら、覚醒している間、ずーっとつきまとってくる「言葉」という魔ものから、一瞬、解放してくれるのが、「写真」なんだよね。