しまりす写真館の現像室から

カラーネガフィルムでユルめに写真を撮っています

GRD3とE-P5:新宿物語

「東京は、物語。東京は、写真なのだ。」

荒木経惟東京物語平凡社 1989年4月29日発行 より)

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Ricoh GRD3: Shinjuku, Tokyo

今日は、2月の雨が降っています。

個人的には、一年のうちで、この2月の下旬ほど素敵な季節はないと思っています。学校は3学期もあらかた終わって、授業は「消化試合」の様相を呈するようになり、嫌なクラスメートたちとの面倒臭い人間関係もリセットできるという予感に包まれるのです。そして、リセットされた後は、何もかもがうまくいくんじゃないか、という全く根拠のない「希望」に満たされる季節。それが僕にとっての2月下旬である。

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そして、2月の遅い午後の日差しは、特に東京では、抒情的に感じられます。むかし、2月の下旬に中野にあるビルの事務所で、3日くらい徹夜でとにかく資料を印刷するという、アルバイトのようなことをやったことがあるのですが、他のことは全て記憶から抜け落ちてしまったのだけど、ビルの窓から見た2月の夕暮れの日差しの中にぼんやり、もやっと見えた、東京の街並みの様子だけ、今でも記憶に残っています。鮮明な記憶ではないのだけど、そのとき、その光景を見た、ということは忘れられないのです。あれは確か、1987年のことだったと思う。

1987年の中野の早春の夕暮れの街並みは、そのとき、とても抒情的だったのだ。

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Olympus E-P5 + Leica Summilux 15mmF1.7: Shinjuku, Tokyo

ちくま学芸文庫の「記号論講義」(石田英敬)と言う本を少し前に買ったままになっていたのを、ようやく手に取って開いてみました。そうしたところ、「都市についてのレッスン」と言う章で、これまた少し前に近所の古本屋で見つけて買った荒木経惟の「東京物語」と言う写真集に沿って、東京という都市を記号論の観点から批評していて、面白く読みました。この本に書いてあるように、東京は3度にわたって全面的な破壊行為を経ているのであって、それは関東大震災東京大空襲、そして80年代の投機的都市開発なのだけど、アラーキーの「東京物語」は開発によって急速にその姿を変えていったあの頃、バブル期・そして昭和の終わりの「東京」の姿を捕らえている、と思います。

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Olympus E-P5 + Leica DG Summilux 15mmF1.7: Shinjuku, Tokyo

お久しぶりに広角レンズを使ったのですが、やはりなんでも面白そうに写りますね。50ミリよりもずっと楽にシャッターをぱちぱち押せます。東京は、一つのカットの中にいろいろなものがカオス的に入り込んでくる、という、この画角が一番相性が良いのではないか、という気がします。

東京物語」は1989年(昭和64年にして、平成元年)なのだけど、翌年、1990年、平成2年の秋に発行された写真集が「冬へ:Tokyo: a City Heading for Death」。近所の古本屋では、「東京物語」とセット?組み?で並べて売られていたのだけど、これも名作だと思います。表紙にもなっているけど、1枚目の写真がいいですよね〜。

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元気そうな男の子と、優しい笑顔の女の子。そして女の子は小さな子猫を抱きかかえてるんです。

こんな写真、令和4年の今日において、ネットで公開したら、大変な騒ぎになるんでしょうね。「親の承諾はとったんですか!?」って。そもそも、こんな笑顔の子供たちって、今でもいるのかな。

最近本当に酸素が薄くなってきて、みんなで黙って水面と天井の間にわずかに残された空間の酸素を貪っていられるのはあとどれくらいなのか。この瞬間を写しとってくれたアラーキーに感謝。って言っても、彼のことだから、実はヤラセだった、っていうこともあるのかもしれないけど。

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そして写真集の終わりの方の、銀座の風景。街を行き交う人の姿やタクシーが、遅いシャッタースピードのせいで、ブレてしまって、はっきりと見ることができない。そして、アラーキーの写真では珍しいと思うのだけど、街の風景が逆光で捉えられている・・・あたかも、西方浄土に向かって、目を凝らすように。

子猫を抱えた少女とその少女をみまもるかのように笑っている男の子の写真にはじまるこの写真集を1ページづつめくって、写真を追っていって、この一連のブレた銀座の街の風景にたどり着くとき、何かを感じますね。それが「死」に向かって変貌しつつある都市、ということだったのでしょうか。

もしも1990年の時点でこの街が死にかけていたのだとしたら、それから30年経った今のこの街は・・・松本零士の「銀河鉄道999」に出てきたような、永遠の命を手に入れた機械人間の街?

それにしても、アラーキーの「東京物語」の発行日に小さな秘密が隠されていたとは・・・実に、油断ならない人なのである。