しまりす写真館の現像室から

カラーネガフィルムでユルめに写真を撮っています

Minolta α-7:S区寸景

Minolta α-7 + Minolta Zoom Lens AF24-105mm + Provia F 100

1973年に西武百貨店ダイアン・アーバスの写真展が開かれていたようだ。その際の写真集は西武百貨店が出版している。山岸章二氏が編集し、堤清二氏が発行した。写真集の中の、当時の基準において不適切な部分は黒マジックで修正がされている。修正するなら発表するなって?

修正してでも発表する方が正しいのかもしれない。もっとも、当該人物を除いて周囲の全て人々の顔にモザイク、ぼかしがかかっている報道番組を見慣れた私たちにとっては、ダイアン・アーバスの作品の一部にインクで修正が施されている、それが何を意味するのか、ということを問う力さえも奪われてしまっているのではないか。

「自由」とは人間にとって耐え難い「重み」に他ならないのかもしれない。

Googleとラジオ。必要な情報を検索して取得する行為と、必要であるか不要であるかはさておき、情報が垂れ流されて、その中で必要な(必要か不要かという基準ではなかった、と思うが)情報を取り入れて、何らかの形で、記憶する行為。効率が良いのは前者であろう。しかし、何を検索したら良いのかを知らないものにとって、ラジオは、非効率かもしれないが、しかし、豊かな潜在的な知識と経験へのリソースであるといえるのではないか。

私が中学校の1年生の三学期の初め頃(具体的には、1979年だ)、日本中の人々の耳目を集める猟奇的な事件が起きた。銀行に籠城した犯人と警察の攻防は、ラジオで私が住んでいた片田舎にもリアルタイムで伝えられた。いつもの番組は全てキャンセルされて、一晩中、現場の状況だけがラジオで伝えられたのだ。数十分ごとに伝えられる現場のニュースとニュースの間の数分間に流されていた音楽を僕はいまでも覚えている。それは、オスカー・ピーターソン、ないし、オイゲン・キケロの演奏だったのだ。

と、いうわけで、私は今1973年に西武百貨店が出版したダイアン・アーバスの写真展を買うべきか否か、逡巡していたわけなのであるが、夜が明けたら私はその写真集を購入に及ぶのであろう。書籍のコンディションからするといささか強気の値段設定であったようにお見受けはするのだが、しかし1973年の空気を吸い込むことができる、という点を考慮するならば、これはまさに破格なのである。

それにしても、庶民のための買い物施設である(あった)百貨店とは、実に文化的ラジオの役割をも果たし、人々においては何を見て、知り、考えれば良いのかという問いが先に立てられることはなく、ただ、目の前に現れる次々のものを目にし、好きなものだけを吸収すれば良い、という時代の空気をもう一度嗅ぐために私はあのお高い黄ばんだ写真集を購入に及ぶのであろう。

知るよりも前に、知るべきことを知っているというのは、あまりにも不可能であり不自然なことなのであるが、しかし、それが今日の私たちにとては、当たり前のこと。ニュー・ノーマルなのである。